キュートなサンタがやって来た

サンタさんには、毎年いろんなプレゼントをもらった。
絵本やお菓子、おもちゃや、素敵なお洋服。

そして、ハンドベルと、たくさんの歌。大切な家族と、生きていく希望。
だから、今年は私たちの番だと思った……。

―――――――

12月24日、クリスマス・イブ。

「ねえ、みんないっぱい食べると思うから、もっとたくさん作らないと」

舞美が、みんなに激を飛ばすように言った。
喧騒に包まれたキッチンでは、早貴と栞菜を除く姉妹五人が、今夜のパーティーの準備のために
朝から忙しく働いている。
舞美とマイがカップケーキとクッキーを焼き、それを可愛くデコレーションしていく。

「この生チョコ、美味しそおー!」
「あー、コラ千聖、食べないでよー。足りなくなったらどうするのー」

クリスマスケーキを作るえりかのアシスタントに任命された千聖が、製作中のケーキの材料になる
生チョコをつまもうとして怒られた。
えりかは、今年は舞美のリクエストで、特製のチョコレートケーキを作っている。

「ねえねえねえねえ、パーティーまでに間に合わなかったらどうしよう?」

砂糖菓子のサンタ作りに立候補した愛理が、作りかけの小さいサンタとにらめっこをしながら
心配そうに言った。
市販のものはあるが、「今年のケーキはそれでは意味が無い」とインターネットで作り方を調べて、
今年はケーキの上に乗せるサンタさんもすべて手作りだ。

「大丈夫だって、絶対完成させてみせるから」

料理上手でケーキ作りも大好きなえりかが、自信満々で言った。

「ごめんね、えり。むずかしいこと頼んじゃって」
「ううん、だってこれ、素晴らしいアイデアじゃん!」

申し訳なさそうに言う舞美に、えりかがテーブルの端に置いた葉書を指差して答えた。
葉書には、ある写真がプリントされていた。

「ねえ、ケーキが焼き上がるまで、こっちも手伝ってよー!」

キッチンと繋がったリビングから、早貴が大きな声を上げた。
早貴と栞菜は、今夜のパーティーで着るサンタの衣装を作っている。

「――もう、この忙しいのに、カンちゃん何してるのーー?」

作業中に突然いなくなった栞菜に、早貴がちょっと怒った口調で言うと、
マイが「しっ」と唇の前で人差し指を立て、そのまま可笑しそうに部屋の隅を指差した。

「……だから今日はダメなんだって。ウチはクリスマスは家族ですることになってんだから」

栞菜がケータイで誰かと話をしている。
栞菜は声をひそめているが、それでもみんな電話の相手が誰かは想像がついている。
その会話の成り行きに、みんな注目した。

「もう、だからダメなんだってば!……だからぁ……ああ、もぅ!
 ……じゃあ本当のこと言ってやるわよ!クリスマスは違うオトコんとこでするの!
 そう、あんたなんかより全然大事なオトコなんだから。じゃあね、バイバイっ!!」

だんだん声が大きくなっていき、最後は強引にケータイを切った栞菜に「プッ……あはははは!」
と、みんなが一斉に笑った。

「栞菜ぁ、いいのお?」
「遠慮しなくていいんだよ、もうクリスマスは別々でもさあ」

えりかと舞美がいかにも楽しそうに茶化した。

「ちょっと、やめてよォ!向こうがしつこいだけで、ウチは何とも思ってないんだからね!」
「それにしても、大事なオトコってさあ……」

えりかが、まだ可笑しそうに言うと、「だって、ホントのことじゃん」と栞菜がムキになった。

「大事なオトコ、かあ……。まあ、それを言うなら大事なヒ・ト、だよね」

舞美が、テーブルの端の葉書を摘み上げ、それを見ながら言った。

葉書にプリントされた写真には、素敵なレンガの家の前に立っている
おとうさん、おかあさん。まだまだ小さい小学生の私たちが七人。
そして、私たちがその時まで『先生』と呼んでいた男の人が写っていた。

「……さあ、頑張って、パーティーに間に合わせなくちゃね!」

舞美があらためて声を掛け、みんなが「うん」とうなずいた。

「でもさあ、ハンドベルの練習、本番前にもっかいちゃんとしときたかったな」

舞美を見上げ、少し不安気に言うマイに、舞美が自信ありげに胸を張った。

「――大丈夫。昔、あんなに練習したじゃん」


―――――――

「ラジオたいそう〜」カラン、カラン、カラン、
「じゃあ、こっちは除夜のカネ〜〜」カラカラカラカラ……、
「こらあ、遊ぶなあ」

ハンドベルの練習中にふざける千聖とマイに、先生が怒ってみせた。
けれども、優しい先生が精一杯に作って見せた、迫力のない、ちっとも怖くない顔に、
そばで見ていた舞美の、冬なのに日焼けをした顔がついほころんだ。

――2002年冬、
クリスマスまであと少し、となった12月の中頃。
舞美とえりかが小学五年生、早貴と栞菜が三年生、愛理と千聖が二年生、一番下のマイは
まだ一年生だった。

そして先生は、この一年ほど前から、私たちの“おうち”に遊びに来るようになった。
ミュージシャンだという先生は「TVにも出たこともあるんだぞ」とちょっと自慢をする。
しかし、あまり忙しくなかったようで、度々遊びに来ては私たちに歌を教えてくれた。
私たちにとっては、ちょっと頼りなくて、優しい“音楽の家庭教師”の先生だ。

先生はこの日、楽譜を用意して、私たちにハンドベルを教えてくれていた。

「だってさあ先生、これやっぱりむずかしいよ」
「そうそう」

怒られても、ちっともこたえない千聖とマイに、先生が「うーん」と困った顔になった。

「でも、ちゃんと練習して、今年のクリスマスにはみんなで『きよしこの夜』を演奏するって
 言ったろう」

小さな銀色の鐘に、握り手が付いたハンドベルは、一つのベルで一つの音だけが鳴る。
『きよしこの夜』に必要なベルは十四個、ちょうど一人が片手に一つずつ持てばいい。
この年のクリスマスには、七人でハンドベルを演奏しようと前から決めていた。

「それに、いくら練習してもさあ、どうせ……」

早貴が、そう言ってカレンダーを見た。12月24日のところに黒い丸印が書いてある。
それを見て、みんなの気持ちが、急に深く落ち込んでいくのが舞美にはわかった。

「…………きっと大丈夫だよ!だから、さあ練習しよ!!」

舞美が努めて明るく声を掛けると、みんなが「うん!」と答えてくれた。

「何だよ、舞美の言うことならみんな聞くのか」

すねたような口調の先生に、みんな笑った。

しばらく練習をしたあと、おかあさんがおやつを持ってきてくれた。
おかあさんも一緒に、それを食べながら休憩をすることにした。

「……でもさあ、なんでプレゼントにハンドベルなんだろうね」

お菓子をほおばった愛理が、目の前のテーブルに並んだハンドベルを眺めながら、
去年のクリスマスの朝と同じ台詞を口にした。

「あたしハンドベルが欲しいなんて頼んでなかったのになあ」
「うっ……」

先生が弱った顔になり、おかあさんがそれを見てくすっと笑った。
サンタクロースの存在を素直に信じられる年齢から、だんだんと離れていった舞美は、
先生とおかあさんの反応を見て、去年のサンタさんの正体に気付いて、また可笑しくなった。

去年の、クリスマスの朝を思い出した。
目が覚めたら、枕元には、かわいい小物、サンタさんの長靴に入ったお菓子、
そして持ち手にリボンを結んだハンドベルが三つ置かれていた。

みんなが目を覚まし、プレゼントに気付いて喜んで、朝ごはんを食べる部屋へそれを持ち寄ると、
ハンドベルは全部で二十一個になった。

「なんだこれ?」
「ハンドベルっていうんだよ」
「でもさあ、なんでハンドベル?」

舞美も不思議だったが、サンタさんだと思っている大人二人が目の前にいるので口にはしない。
文句を言うのは、主に下から三人のちびっ子たちだ。
愛理が素直な気持ちを口にした。

「あたしハンドベルが欲しいなんて頼んでないのになあ」

そういえば、昔、何かの本で読んだな。
舞美は、思い出したことを、みんなに話してみた。

「ねえ愛理。私、本で読んだんだけどね、サンタさんのプレゼントって、その時、
 その子にとって本当に必要だと思われるものをくれるんだって。
 だから、私たちにとって、これはきっと必要だったんだよ」
「ふーん、必要なのかあ」

不思議な顔でハンドベルを見つめる愛理に、「きっとそうだよ」といつものように
舞美が言い聞かせた。

「へえ、舞美も本なんか読むのか」

おとうさんが、感心したように横から言った。
……失礼な!
たしかにスポーツ大好き、外で遊ぶのが大好き、いつも真っ黒に日焼けをしていた舞美だったが、
本くらいは普通に読む。

「おとうさん、ひどーい!」
「ははは、ごめんごめん」

怒る舞美に、あの時、おとうさんは半分が白くなった頭を掻いて笑っていた。


「そうだ!ねえ先生、この前撮った写真がプリントできたんだよ。見たい?」

千聖が、一枚の写真を持ってきて見せた。
この前、先生が遊びに来たときに、お洒落なレンガ造りの、私たちの自慢の“おうち”の前で、
おとうさんとおかあさん、私たちと先生で、“最後の記念”にみんなで撮ったものだ。

「へー、奇麗に撮れてるじゃないか。この写真、先生にくれないか?」
「だめだよー、まだこれ一枚しかないんだから」

千聖が、先生から写真をとり上げた。「ちぇ、ケチだなあ」と、むくれる先生に、

「ねえ先生。先生は、おかあさんが写ってるからこれ欲しいんでしょ?」

突然、栞菜が言い出した。

「知ってるんだから。先生は、おかあさんに会いたいから、うちに遊びにくるんだよねー?」
「……ば、ばか!何言ってんだ!?」

慌てる先生を、みんなで「えー!?」「そうだったんだー!?」「先生、きゅんきゅん、だね!」と
みんなではやし立てた。実は、栞菜に言われるまでもなく、みんな気づいていたことだ。
おかあさんの顔を見ると、赤くなって照れている。

(もしも、おとうさんが今ここにいたら、どんな顔をするだろうな)
想像して、舞美は可笑しくなった。
でも、おとうさんは今日もいない。最近、忙しいおとうさんとは、あまり顔を会わせることも無い。

「せ、先生が好きなのは、おかあさんじゃなくて、おかあさんの歌声なんだからな」

先生が、誤魔化すように言った。

「そうだ、クリスマスには、おかあさんにも歌ってもらおう!
 あのピアノで、久しぶりに弾き語りをしてもらおうよ」

部屋に置かれた、白い紙が貼られたピアノを指差す先生に、「でも、それは……」おかあさんの顔が
曇った。

「……かまうものか」

先生が、『差押物件封印票』と書かれた紙が貼りつけられたピアノの蓋を開けたとき、

「こんにちは」

玄関の戸が開き、声が聴こえた。
(――また、あいつが来た)
その瞬間、みんなの顔に緊張が走り、そして身構えた。

 ―――――――

「できたよー!!」「完成ー!!」

キッチンとリビングから、ほぼ同時に声が上がった。
キッチンでは特製のチョコレートケーキと、たくさんのお菓子が、
リビングでは手製のサンタクロースの衣装が完成していた。
時計の針は、もう三時に近くなろうとしていた。

「よかった、間に合ってー!!」

早貴が、そのプレッシャーから開放されて喜びの声を上げた。
数日前から、みんなで手分けをして型紙を作り、生地を裁断したり準備はしていたが、
作業は遅れてクリスマス・イブ当日になってしまった。
当日はケーキとお菓子を作らなければいけないし、仕上げに使えるミシンは一台しかない。

「もう、間に合わなかったらどうしようかと思った。だってさあ、七着だよー、七着!」

そんな中、舞美に強引に“サンタのコスチューム製作担当リーダー”に任命されていた早貴の
プレッシャーは相当なものだったようだ。

「でも、これも、えりかちゃんのデザインのおかげだよ」

早貴が、サンタの衣装の一着を抱え感謝するように言った。
えりかがデザインしたサンタの衣装は、生地を節約し、なおかつ短い時間で製作できるように、
むずかしい袖とズボンの部分を無くし、そのぶん裾を長くしたノースリーブでミニスカートの
ワンピース型だ。そして細部は、着る人の個性に合わせて一着ずつアレンジされている。

「でもさあ、私も応援したでしょ。ね、なっきぃ?」

舞美が言った。早貴が「う、うん」と頷いた。
応援も何も、そもそもは舞美が強引に頼んだことなのだが、生来の負けず嫌いが顔を出し、
言わずにはいられない。それでも、そんな自分のわがままを許してくれる早貴を、舞美は好きだ。
「うん」と答えたときの早貴の笑顔が、多少ひきつっていた気がするけれど、そんな小さいことは
気にしないことにしている。

「……でもさあ、もうちょっと早めに言ってくれたら楽だったのになー」

今日は、早貴がちょびっと反撃に出た。

「だってさあ、仕方ないじゃん、これ見てたら急に思いついちゃったんだもん」

舞美が、テーブルの上の葉書を掴んで言った。
そうだ、
今年は、私たちがサンタクロースをしてあげると決めたんだから。
あの年の、クリスマスのように――。

 ―――――――

あの時――。
おかあさんは、先生に「子供たちをちょっとお願いします」と言って来客を部屋へ招き入れた。

「まだ退去の準備はできていないんですか?もうあまり日にちはありませんよ」

部屋に入るなり、来客はあたりを見回して言った。
眼鏡を掛け、髪を乱れなく横に撫でつけて分けた、いかにも真面目そうなこの“宮本”という
男性を、舞美は、そしてみんなは好きじゃない。

初めて家にやってきたとき、彼は“裁判所の執行官”だと名乗った。
他の大勢の人と一緒にやってきた宮本は、年上の人に言われるままに、私たちの家の家具に
ペタペタと『差し押さえ』の白い紙を貼りつけていった。
その後も、何度も私たちの家を訪れ、今度は、私たちをこの家から追い出そうとしている。

「……あの、せめて今月いっぱい待ってもらえませんか?虹沢がまだ転居先を探しているところ
 ですし、……この子たちが、この家でする最後のクリスマスを楽しみにしているんです」
「それは私には関係の無い話でしょう。それに、時間の猶予も充分にあったはずです。
 立ち退きの期限は予定通り、今月の二十四日で変更はありませんので」
「そんな……」

おかあさんが悲しい顔になった。
悔しいけれど私たちは、いつものように部屋の隅で、みんなで固まって、おかあさんと宮本の
やりとりをただ黙って聞くしかない。

「ねえ先生、れんたいほしょーにんって何?何でおうちを取られなくちゃいけないの?」

千聖が、涙を浮かべた目で先生に訊いた。

「君たちのおとうさんは悪くないよ。ただ、優しすぎて昔から人を疑うことができない人なんだ」

おとうさんが信用していた人が、お金を借りたままどこかへ逃げてしまった。
それで、今度は連帯保証人になっていたおとうさんがそのお金を返さなければいけなくなった。
でも、それはとても払いきれる額ではなくて、お金を貸していた人が、裁判所に訴え、私たちの
家や家具が差し押さえられた。競売というものにかけられるらしい。

「あ!」

宮本が、上がったピアノの蓋に気づいて声を上げた。

「これも使っちゃ駄目でしょう。差し押さえの物は、もうあなたの家の物じゃないんだから」

舞美が、キッとした目で宮本をにらみつけた。
人一倍怖がりで泣き虫のえりかが、それでも涙をこらえて妹たちを守るように抱きしめている。
宮本が、表情を崩さず、ピアノの蓋を閉じようとしたとき、「待ってください」と先生がピアノの
蓋を掴んで止めた。

「このピアノの札を外してもらえませんか?たしか生活に必要な家財道具は、民事執行法で
 差し押さえが禁止されていいるはずです」
「そうですよ。だからこれは差し押さえの対象なんです。ピアノは生活に必要ないでしょう……」

冷たい笑みを浮かべた宮本が、ピアノの蓋を強引に閉じようとしたとき――、

「音楽は、生活に必要だ!!」

先生が、それを遮って大きな声で怒鳴った。
その迫力に気圧され、宮本の顔からスッと笑みが消えた。
驚いたのは舞美も同じだった。先生の、こんなに真剣で、怖い表情を初めて見た。
そして、みんなも同じだろう。部屋の中が、時間が止まったようにシンとなった。

「……とにかく、退去の準備をお願いしますよ。二十四日を過ぎても立ち退かない場合は、
 不法入居として強制執行となりますので」

しばらく無言でたたずんでいた宮本は、それだけ言うとクルリと背を向けて部屋を出ていった。
その言葉が負け惜しみに聞こえ、舞美は少しだけ胸がすく思いがした。
そして、玄関の扉が閉まる音を聞き、「うえええん」と我慢していたえりかが泣き出した。
それをきっかけに、妹たちが一斉に声を上げ涙を流した。

「みんな泣かないで、もう大丈夫だから」

そう言って、みんなを慰めながらも、舞美は自分が情けなくなった。
普段はお姉さんぶってるくせに、みんなに頼られて、ちょっとは自慢げだったくせに、
こんな大変なときに、妹たちに何もしてあげられないなんて。
舞美の瞳が、みんなとは違う悔しさの涙で滲んだ。
そのとき、

「……そう、大丈夫。僕にまかせて」
「先生……!?」
「大丈夫、僕がなんとかしてあげるから」

先生が、何かを決意したような強い口調で言った。「でも、そんな……」と心配そうに言う
おかあさんに、

「なあに。ちょうど、おとうさんに何か恩返しをしなきゃいけないと思ってたんだ」

先生が、いつもの優しい表情に戻って答えた。

「だから、僕を信じて待っててくれないか」

そう言って、みんなを安心させるように微笑んだ先生の言葉を、舞美は信じた。

 ―――――――

クリスマスケーキに、お菓子に、サンタの衣装――。
今夜のパーティーの準備を全て終えると、舞美たちは買い置きしておいたカップ麺で遅い昼食を
採ることにした。お湯を注ぎ待つあいだ、早貴と栞菜の“サンタの衣装”組が「お腹空いたよー!」
「もう死にそおー!」と声を上げた。形が崩れたクッキーやケーキなど、キッチン組が適当に
つまみ食いをしながら作業をしていたのは、二人のために内緒にしておくことにした。

食事を終えると、みんなで出かけるための準備をした。
必要なものは綺麗にラッピングをして、サンタの衣装とハンドベルをかばんに詰める。

「……大事なこれも、忘れないように」

舞美が、行き先の住所が書いてある葉書を上着のポケットに仕舞った。
家を出ると、近くのバス停から、あらかじめ調べておいた目的地へ行くための路線バスに乗った。
思ったよりも荷物が多かったので、バスがそんなに混んでいなかったのは助かった。
バスの右側の空いていた座席に、座れる人数分だけ荷物を抱いて座り、舞美とえりかの二人は
その前の床に荷物を置いて、吊り革に掴まって外を眺めた。

「今日は降らなくてよかったねえ。ね、舞美ちゃん?」

早貴が、悪戯っぽい笑顔で“雨女”と言われる舞美を見上げた。
「まかせてよ、もう雨女は卒業したんだから」と舞美は言いきってみせたが、正直自信は無い。
天気予報では、天気は崩れると言っていたし、窓から見上げる空もなんだか曇ってきている。

「わかんないよ、だって舞美ちゃんだもん。もうゲリラ豪雪とかあるかもしんないよ」

ちょっとイジワルな栞菜が真顔で言い、イジワル仲間のマイが「うんうん」とうなずいた。

「……でもさ、もしかしたら雨女だってあたしじゃないかもしれないじゃん」

笑顔を作りながらもムキになって答える舞美に、みんなが一斉に「無い無い!」と突っ込んだ。
(ちょっと悔しい……。ようし今日は降らないようにまた祈ってやる!)と舞美は密かに思いながら、
バスの中ではみんなの他愛の無いお喋りが弾み、そのまま時間が進んだ。そのうち、

「ねえ、この道ってさあ、たしか……」

窓の外の、ある景色に気付いて千聖が言った。

「やっぱりそうだよ。ほら、あそこあそこ!」

千聖が、バスの右側の窓からある建物を指差した。
バスの進行方向の、反対の車線側に沿って並ぶ建物の中に、かつて私たちの“おうち”だった
レンガ造りの建物があった。バスは、かつて私たちが住んでいた街を通る路線だったようだ。

「あ、おうちが!」「ホントだ!」「懐かしいねー!」

座っていたみんなが、それを見つけて様々な声を上げた。しかし、舞美は無言のままだ。
その建物は、お洒落な外観を活かして今は何かのお店になっているようで、小さな看板が前に
掲げられていた。それを見つけた舞美の表情に、暗い陰が差した。
バスは、そのまま止まることなくその建物の前を通り過ぎていった。

「……ねえ舞美」
「ん?」

えりかが舞美に話しかけた。

「舞美、まだ許せないの?」
「…………うん」

舞美が、小さく頷いた。
自分でも、いつまでも怒っていても仕方ないと思う。
それでも、信じていた人を裏切る行為はやっぱり許せない
例え、何年経とうとも―― 。

舞美は、複雑な気持ちを隠しきれないまま前を向き、外を眺めた。
バスの窓に映った自分の顔が、(あまり好きじゃないな)とちょっと哀しくなった。

 ―――――――

私たちが、あの家から追い出された年、
先生が「僕を信じて」と言ったあの日――。
あれから、先生は私たちの前に姿を見せなくなった。

おとうさんは毎日遅くに帰ってきて、私たちを見ると肩を落として「ごめんよ」と謝るばかりだ。
愛理が「ハンドベルやろうよ!」と熱心に言って続けていたハンドベルの練習も、退去の期限である
二十四日が近づき、整理された荷物が部屋に増えていくにつれ、みんなの中に諦めの気持ちが
広がっていき、やがてハンドベルを手にみんなが集まることも自然に無くなってしまった。

そして、あっという間に退去の期限である二十四日になった。
みんなでこの家で食べる最後の朝食を終えると、舞美は部屋で最後の荷物をまとめることにした。
午前中には引越し業者が来て『差し押さえ札』の貼られていない荷物を運ぶといっていた。
だけど、もともと自分の家具なんてほとんど無い。ほとんどが、あらかじめこの部屋にあったものだ。
だから本当に大切な自分のものは、人に頼らずちゃんと自分で運びたかった。

身の回りのものや大事なものを、ていねいに大きいかばんに詰めていく。
部屋には、舞美と同じ部屋だったマイの荷物が整理の途中で放り出されていた。
(……もう、マイったらどこいってるんだ?あとで頼んだって手伝ってあげないから)
舞美はそう思いながら、お姉さんぶってあげられるのも今日で最後か、とあらためて悲しくなった。

おとうさんが「今日は、最後においしいものでも食べていこう」と言っていた。
レンタカーで私たちを乗せるワゴン車を借りてくるという。でも、どんな御馳走も嬉しくなんかない。
その後、きっと私たちは新しい家に送られるはずだから。
――みんなが、バラバラな家に。

「ああ、もう!」

何度やってもうまく収まらない荷物に苛立つように舞美がかばんを叩くと、ハンドベルが中で
「コン」と鈍い音を鳴らした。

「……もう、なっきぃったら、どこいっちゃったのよお」

遠足のリュックに上手に物を詰めることができなくて、いつも形がでこぼこになって「背中に
当たる!」と文句を言っていた舞美に、「舞美ちゃんぶきっちょなんだから、早貴がやってあげる」
と言ってくれた早貴を思い出した。そして、思わず口をついて出た言葉に、舞美はハッとなった。

何がお姉さんだ。
何もしてあげられないどころか、逆に甘えていたのは自分の方じゃないか。
悲しくて、悔しくて、そして自分に対して怒りが湧いた。
(……せめて、これからは誰にも頼らないでしっかりしなくちゃ!)と舞美は思い直し、かばんの中を
ちゃんと自分で入れ直そうと中身を出していったとき、かばんの底に手紙を見つけた。

幼い文字で書かれた手紙を開いた舞美の目から、我慢していた涙が一気に溢れた。
そのとき――、

「大変だ舞美ちゃん、愛理と千聖とマイちゃんが!!」

早貴が慌てて部屋へ飛び込んできた。「何……!?」袖で涙を拭って舞美は顔を上げた。


舞美が早貴に連れられて洗面所へ行くと、お風呂の脱衣場を兼ねたその場所におかあさんとえりかと
栞菜が立っていた。風呂場の中で鍵を閉めて、愛理と千聖とマイが閉じこもっているという。

「ねえ、お願いだから出てきて」

おかあさんが、脱衣場と風呂場を隔てる擦りガラスの前で必死で声をかけている。三人の姿が
見えないので捜してみると、お風呂場の鍵が内側から掛かっていて中にいるのに気付いたという。

「ごめんねおかあさん、あたしたちこのお家から出たくないの」

中から愛理の声が聞こえた。
「おかあさん……」舞美が声をかけると、「どうしよう、あの子たちが……」おかあさんが狼狽した
様子で答えた。

「ねえみんな、出てきなよー」

戸を叩いて、早貴が声をかけると「いやだ、出ていかない!」「ウチらはここにいるもん!」
と、中から千聖とマイが答えた。

「だって、ずっとそんなとこにいたらお腹も空くし、寒いから風邪引いちゃうよ」

えりかが心配するように言うと、

「大丈夫、お腹空かないし、寒くないもん」

マイが答えた。「……」栞菜が、黙ってそれを聞いている。
もう、何を強がってるんだと舞美が擦りガラス越しに中を覗くと、浴槽の中にしゃがんでいるらしい
三人の頭のシルエットが見えた。浴槽の縁には、何か布のような物が掛かっている。あれはたぶん
毛布だろうと思った。きっと食べ物も用意しているのかもしれない。

「……ねえ、そんなこと言わないで、お願いだから出てきてちょうだい」

おかあさんが哀願するように言った。

「いやだよ!だって、おとうさんは悪くないのに何でお家とられなくちゃいけないのさ!」
「それは……」

強い口調で言う千聖におかあさんの言葉が詰まった。
玄関の方に大きな車が停まる音がした。どうやら引越しのトラックが到着したらしい。

「…………お願い、あんまり困らせないで」

おかあさんが膝をつき、肩を落とした。その目には涙が浮かんでいる。
その姿を見て舞美が言った。

「おかあさん、心配しないであたしにまかせて。おかあさんは引越しのお手伝いをしてて」

舞美が、おかあさんの肩を抱えて起こした。
「そうだよ、舞美にまかせておけば大丈夫だよ」とえりかが続けて言った。早貴が頷いた。
「だから、さ」舞美が言うと、おかあさんは少し安心したように小さく頷き、そのまま舞美に
「お願いね……」と言ってその場を後にした。舞美が代わりに扉の前に座り込んだ。

「まかせて」と言ったくせに、舞美は実は不安でいっぱいだった。
何で、みんな私なら大丈夫だって思うんだ。
私は、何にもできないお姉ちゃんだよ?みんなをまとめる自信なんか無いよ。
それでも、ここは自分が何とかするしかない。舞美は思い直し、ガラス越しに声をかけた。

「ねえ、みんな何でそんなとこにいるの?」
「……舞美ちゃん?」

愛理の声が返ってきた。

「そうだよ。ねえ愛理、みんなが心配してるから出てきなよ」
「……ごめんね舞美ちゃん、あたしたち出られない。まだ、このお家にいたいの」
「愛理、もうこのお家にはいられないの、仕方ないんだよ」
「でも……」

愛理の声が詰まった。

「おかあさん、泣いてたよ。みんなも心配してるよ。愛理は、そんな子じゃなかったはずだよ」

舞美が、普段思っていることをそのまま口にした。
私たちが知っている愛理は、誰よりも人を思いやることのできる優しい子のはずだ。
愛理は黙って聞いている。もう少しかもしれない。舞美は続けた。

「それにさ、新しいお家だっていいとこだと思うよ。きっと楽しいよ……」
「ごめん舞美ちゃん!あたし今日はやっぱりここにいなきゃダメなのッ!!」

愛理が強い口調で舞美の言葉を遮り、そのシルエットが隠れた。浴槽の中に潜ったらしい

「愛理!」「愛理!」えりかと早貴が呼びかけたが返事が無くなった。
みんながガックリと肩を落とした。もう今日は愛理は本当に出てこないかもしれない。
ふにゃふにゃしているように見えて、あの子がいちばん一途で頑固なことを知っている。
「どうしよう……」えりかと早貴が顔を見合わせた。栞菜はさっきから黙ったままだ。
しかし舞美は、さっきの愛理の言葉を思い出していた。

「今日は……?」

舞美が洗面所を飛び出していった。「舞美!?」「舞美ちゃん!?」えりかと早貴が声をかけた。
舞美は普段みんなが集まりくつろいでいた部屋へ入った。引越し業者が荷物を運び出し、
おかあさんがそれを手伝っている。舞美は壁を見る。カレンダーはもう外されていた。けれど、
今日が何の日かくらいはカレンダーを見なくてもわかる。

「舞美……!?」おかあさんの声を聞き流し、舞美は自室へ走った。
扉を開けると、整理していた自分のかばんとマイのかばんが見えた。舞美はそのまま、愛理と栞菜が
共用していた部屋へ向かった。部屋の中には、やはり二つのかばんがあった。

「……しょッ!」

そのうち一つのかばんを、両手でしっかり抱えて持ち上げる。野球とソフトボールで鍛えた腕だ。
痩せて見えるけれども力はある。かばんを顔の前まで持ち上げ、そこで軽く揺すってみる。
(やっぱり……!!)
舞美はかばんを置くと、そのまま再び自室へ駆け込む。


「……舞美、どこに行ってたの?」洗面所に戻ってきた舞美にえりかが声をかけた。
舞美はえりかを黙って見つめ返すと、そのまま頷いて扉の前に立ち、胸の前に掲げた両手を振った。

 『カラン、カラン』

二つのハンドベルの、綺麗に澄んだ高い音色が響いた。

「ねえ愛理、聴いてる?この戸を開けて。あたしたちは、七人じゃないと演奏はできないんだよ」

ほんの少しの間が空いて、カチリと鍵が開く音がした。

「愛理っ!!」

舞美が戸を開けると、涙で頬を濡らした愛理が立っていた。
その足元のタイルの上には、愛理と千聖とマイの小さなハンドベルが、整列をするように並んでいた。

「愛理……」舞美が浴室に足を踏み入れると同時に、「千聖!マイちゃん!」とえりかと早貴が、
最後にゆっくりと栞菜が入ってきた。おとうさんが『子供たちが大勢で入れるように』と改装した、
この家のお風呂場はかなり広い。子供たちだけなら七人全員が中に入れて、まだ少し余裕がある。

立っている愛理の後ろの、毛布を敷いた浴槽の中に、頭を垂れた千聖とマイがちょこんと座っていた。
側には、おこずかいで買ったらしい沢山の駄菓子を入れた袋があった。

「よかったあ、あたしおかあさんに知らせてくる!」

三人の姿を確認して安心した早貴が、風呂場を出て走っていった。

「ねえ愛理、どうしてこんな……」

舞美があらためて愛理に声をかけた。

「だって、今日はサンタさんが……」
「え……?」
「今日はクリスマスイブなのに……お家にいないと……サンタさんがわからなくなっちゃうんだもん」

愛理が、下に置いていた自分のハンドベルを大切そうに胸に抱えて続けた。

「……あのね、去年もらったハンドベルね、何でハンドベル?とか、頼んでないのにね、とか
 言っちゃったけど、あれ嘘なの。……ホントはね、すっごくすっごくすっごく嬉しかったの!
 だから、今年サンタさんが来たら謝らなくちゃいけないの。それで、ありがとうってお礼を言うの」

そこまでを一気に言うと、愛理が再びうっすらと涙が浮かんだ目で舞美を見上げた。


「それに、マイはもっといいプレゼントが欲しいんだもん」

マイが、愛理の後ろでふくれっ面で言った。千聖が黙ってそれを聞いている。
舞美は悔しくなった。そんな理由があったのか。何で、もっと早くわかってあげられなかったんだろう。

「みんな!」

早貴が、おかあさんを連れて飛び込んできた。

「……もう、あなたたち何をしてるの」

おかあさんが叱った。その言葉とは反対に、安心した顔に涙が浮かんでいる。
愛理が「……ごめんなさい」と頭を下げた。
舞美も、少しほっとして言った。

「ねえ愛理、そんな心配しなくても大丈夫だよ。あたらしいお家に行っても、きっとサンタさんは
 来てくれると思うから……」
「でも、千聖が……」

愛理が言った。そして、次に千聖が口を開いた。

「あのねえ、サンタさんは、来てくれるお家と、来てくれないお家があるんだよ」
「え……!?」
「……だって、千聖はこのお家に来て初めてサンタさんにプレゼントをもらったんだもん!!」

千聖の言葉に、場の空気が静まった。おそらく、みんなの思いは同じだろう。
……千聖は、この家へ来るまで、どういう暮らしをしてきたんだろう。
千聖だけじゃない。みんなは、何があって、どんな気持ちでこの家に来ることになったんだろう。

それを詳しく聞いたことはない。また、聞きたいとも思わない。
きっと、話したくないことの方が多い気がするから。私と同じで……。
舞美は、少し昔を思い出した。


私は、幼い頃に両親を亡くして、この“お家”にやってきた。
私たちが“お家”と呼ぶ、このレンガ造りの建物『虹色ホーム』は、グループホームと呼ばれる小さな
児童養護施設だ。

グループホームとは、民家などの一般の住宅を利用して児童指導員と少人数の子供たちが生活をする、
一番小さくて家庭的な形の児童養護施設だ。

かつて、大舎制という形の大きな施設の児童指導員だったおとうさん――私たちが“おとうさん”と
呼ぶ人、虹沢大助――は、大きな建物に大勢の子供たちを収容し、規則で管理をするのを好まなかった。
おとうさんは、子供に本当に必要なのは、家族の愛情と、家庭の温もりだと信じている人だった。

そこでおとうさんは、地域の大舎制の児童養護施設の支援のもと、自宅を提供して、そこを改装し、
グループホーム型の施設『虹色ホーム』を設立した。

私は、ここで“一人ぼっち”じゃなくなった。
児童指導員としてこのホームに居たおかあさん――私たちが“おかあさん”と呼び慕う人、
美也子さんは指導員という立場を越え、私たちのことを深く想い、いつも見守ってくれた。
優しいお兄ちゃんやお姉ちゃんがいた。同じ年齢のえりかと出会った。性格は正反対なのに、
ずっと小さい頃から一緒にいた双子のように仲良くなれた。

やがて、私たちがお姉さんになる番が来た。ドジで、何もできない自分を、それでも慕ってくれる
五人の可愛い妹ができた。仲良しの七人は、「まるで“七姉妹”だね」と呼ばれるようになった。

おとうさんとおかあさんは、毎年、クリスマスに必ずパーティーを開いてしてくれた。
おかあさんは、沢山のご馳走を用意して、かならずケーキを手作りしてくれた。
甘いものが好きなおとうさんは、いつもそのケーキを眺めて「おとうさんにも、少しくれよ」と
悪戯っぽく言った。私たちは「いやだよー、みんなの分が減っちゃうもん」と意地悪っぽく答えた。

それでも、そんなときのおとうさんはご機嫌な顔で、私たちにいろんなお話をした。
「……よく人は一人じゃ生きていけないって言うだろ?あれは、単に誰か人が一緒にいればいいって
いうんじゃないぞ。自分以外の誰かを思いやることができて、そういう人が側にいることで、
人は生きていけるって思うんだ」と語っていたのを思い出す。
そんなおとうさんの話より、目の前のケーキの方が魅力的だった私たちは、いつもみんなでケーキを
頬張りながら「よくわかんない」と言って笑っていた。

それでも、本当は、この家で暮らしていると、おとうさんの言うことがほんの少しはわかる気がした。
この家で、みんなで一緒にいるときは、いつも笑っていられた。
つらいことは、沢山あったはずなのに、それを忘れていられた。
私は、みんながいるから生きていけるんだ、と思えた。


「やっぱり……みんなと離れるのは……嫌だよ!」

この場の静寂を破ったのは栞菜の言葉だった――。

「いやだよ……いやだよお…………うわああああ!!」

それまでずっと我慢をしてたのだろう、栞菜の大きな瞳から涙が一気に溢れ出した。
ホームを差し押さえられ、お家を失うことになる私たちは、別の児童養護施設へ行くことになる。
「せめて七人が同じ所に入れるように」と、おとうさんは探してくれたが、七人が同時に入れる
ような施設の空きは無かった。結果、私たちはみんな別々の児童養護施設へ入ることになった。
荷物はひとまず大舎制の大きな施設へ送り、そこから必要なものをそれぞれの施設へ送るという。

「……泣かないでよ、かんなあ……ああああん!!」

言いながら千聖が泣き出した。涙はあっという間にみんなに伝わった。
舞美はぐっとこらえてみせた。お姉ちゃんとして何もしてあげられないなら、せめて泣かずに、
みんなを元気づけ、励まして見送ってあげたいと思ったからだ。
おかあさんが、泣いているみんなを抱きしめた。

「ねえ、みんな、泣かないで。おとうさんは今は落ち込んでいるけど、そのうちきっとまた
 新しいホームを建ててくれるはずよ。そしたら……」
「そんなの、いつになるかわからないじゃないかあ、わあああん!」

千聖が顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら言う。おかあさんの頬を涙が伝う。
「……ねえ、舞美ちゃあん」早貴が舞美の方に抱きついてきた。

「なっきぃ……みんなも……泣かないで。離れても遊びにいくから……ちゃんとお手紙も書くから」

舞美が言った。そして、“お手紙”という言葉で思い出し、愛理の方を向いた。

「……そうだ愛理、サンタさんにお礼の手紙を書いて、ここに置いていこうよ。そしたらサンタさんも
 きっと読んでくれるはずだよ。……ほら、私にくれたみたいに」

愛理がはっとこっちを見た。舞美はかばんの中にあった手紙の文面を思い出した。

『……ほんとうのお姉ちゃんができたみたいでうれしかったよ。はなれても私のことはずっと
 忘れないでね。ありがとう舞美ちゃん。
 
 愛理』

……やめて愛理。私はそんなにいいお姉ちゃんじゃないよ。
みんなが泣いているのに、ただ励ますことしかできないんだよ。
小さく頷いた愛理が、その後「でも……」と舞美の顔を見上げた。

「……そうしたら、みんなとところにも、ちゃんとサンタさんは来てくれるかなあ?」

愛理は、最後までみんなのことを思ってくれている。
それなのに私は……。今、私にできることは……!?
舞美の中で、何かが弾けた。

「……おかあさん、ごめんっ!!」
「きゃっ、どうしたの舞美!!」

舞美はおかあさんの両肩を掴むと、そのまま強引に後ろを振り向かせ、風呂場から押し出した。

「おかあさんごめん、あたしもここに残るッ!!」

舞美はカチリと扉と鍵を閉め、驚いているみんなの方を向いた。

「みんな!今日はきっとサンタさんが来てくれる。だって、あたしサンタさんと約束したんだから」
「舞美!?」「舞美ちゃん!?」

舞美を見返す六つの顔を見て、舞美はあらためて決意をする。
たしかに、私には、みんなを励ますことしかできない。
それでも、こんな自分でも、みんなが慕ってくれるなら……。

「サンタさんは、あたしたちが一緒にいられるようにしてあげるって。だから……」

私はここで、私たちが一緒にいられるようにみんなを励ますことにする!
私は、今、自分にできることを、ただ全力でやる!!

「……だから、それまでみんなでここで頑張ろう!!」
「うん!!」

頷くみんなの顔が、希望で溢れた。愛理が久しぶりの笑顔を見せた気がした。
その顔を、舞美は少し羨ましく思った。
愛理のようにサンタクロースを素直に信じられる年齢は、悲しいけれども過ぎてしまった。
それでも、今年は信じて待ちたいと思った。
去年、私たちにハンドベルをくれた、音楽が大好きな優しいサンタクロースが来るのを――。

「おかあさんごめん。だから今日一日だけでいいの、ここでサンタさんが来るのを待たせて!」

舞美が、扉の向こうのおかあさんに言った。
しばらくの沈黙のあとに、

「……もう、おかあさんは知らないから。あなたたちの好きにしなさい」

そう言い残し、洗面所から出ていく音が聞こえた。

「ねえ、まいみちゃん……」マイが不安げに声を上げた。「おかあさん怒らせちゃった……」
えりかの顔が曇った。「あたしたちのこと嫌いになるかな……」早貴が再び涙目になった。

「……ううん、きっと大丈夫だよ」

だって、サンタさんを一番待っているのはおかあさんだと思うから。
舞美は、最後に先生が来た日、「僕にまかせて」と言ったときの、おかあさんの顔を思い出していた。

それからしばらく、お風呂場の中に座って、引越し作業の音を聞きながらおしゃべりをしていたが、
そのうち外の喧騒が止んだ。「……お引越し、終わったのかな?」えりかが言った。大きな車の
エンジンがかかり、家の前から走り去る音が聞こえた。「行っちゃったね……」早貴が言った。

「……おかあさんも、行っちゃったのかな?」

マイがポツリと言い、みんなが黙った。お風呂場の中が急に静かになった。
もう外に誰もいないと思うと、この静けさが余計に寂しく思えた。みんなの顔が沈んで見えた。
何とかしなきゃ……と舞美が顔を上げたとき、「ぐうう……!」舞美のお腹が鳴った。

「あはははは!」「誰だよ!?」「舞美ちゃん!?」

みんなの笑い声がお風呂場に響いた。「やだー!」舞美は思わず掌で顔を覆った。
「これ、みんなで食べようよ」愛理が袋から菓子を出した。「いいの?」訊く舞美に「うん!」と
愛理と千聖がうなずいた。マイが(仕方ないな)というような偉そうな顔をしてみせた。
「ありがとう!」と言って、お菓子をみんなで少しずつ分けて食べた。
……笑われたけど、恥ずかしかったけど、でも良しとしよう。みんなに笑顔が戻ったから。

お腹が少し満たされると、今度は寒さが気になってきた。
直にタイルに着けているお尻と足が、たまらなく冷たくなってきた。体が芯から冷えてきた気がする。
「みんな、少しくっつこうよ!」言って体を寄せ合いながら、舞美は少し後悔した。
もう少し暖かい洋服を着てくればよかった。一度外へ出て、もっとちゃんと準備をすればよかった。
冬のお風呂場の寒さは予想以上だった。寒さがこんなに辛いなんて思わなかった。
そのとき、お風呂場の扉の向こう側、洗面所の扉がカチャリと開く音がした。

「みんな、まだそこにいるの?」
「おかあさん!」

その呼びかけに、みんなが声を上げた。
おかあさんは、まだいてくれたんだ!
しかし、続くおかあさんの言葉は予想もしないものだった。

「……いい?私はもう、あなたたちのことなんて知らないんだからね」

みんなの気持ちが、一気に落胆に変わった。
おかあさんが続けた。

「だから、もしトイレに行きたくなったりして、そこから出てきても、もう私にはあなたたちの姿が
 見えないし、気付かないんだからね。わかった?」
「え……?」

その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
それからドサッと何か大きい荷物を置く音がして、再び向こうの扉が閉まった。おかあさんが去って
いく足音が聴こえた。しばらく「きょとん」と顔を見合わせた後、舞美はそっと扉を開けてみた。
そして、

「あーっ!!」

そこにある物に、みんなが驚いた。
コートやジャケットなどの冬用のみんなの防寒着と、コンビニのマークが入った大きな白い袋が
置かれていた。袋の中には、七人分のお弁当と、温かい飲み物のペットボトル、使い捨てカイロが
入っていた。

「やったあ!」「おかあさんありがとう!」

浴室が、小さな歓喜に包まれた。
床のタイルに愛理たちが寒さをしのぐために持ち込んでいた毛布を敷き、暖かい上着を着込む。

カイロを手にして、温かいものを口にすると、何だか体の内側から元気が湧いてくる気がした。
そのうち、栞菜が「おトイレがしたい」と言い出した。
「ここで、する?あっち向いててあげるよ」と訊く千聖に「できるわけないじゃん!」栞菜が怒った。
でも、千聖たち三人は元々そのつもりだったらしい。

「……大丈夫、栞菜おトイレ行ってきな」

舞美が言い、栞菜が頷いてお風呂場からトイレへ向かった。
少しして、栞菜が戻ってきた。

「おかあさん、お部屋で座って本読んでた。栞菜に気付いたはずなのに、こっち向いてくれなかったよ」
「いいんだよ、それで」

戻ってきた栞菜に、舞美が照れ笑いを浮かべながら答えた。
おかあさんが、ああ言ってくれなければ、強引に立てこもった私も、ここでおトイレをする羽目に
なってたんだ。あははは……。
舞美は、おかあさんの優しさにあらためて感謝した。

それから、ずっとお喋りをして時間が過ぎた。
どうでもいいことを、いっぱい話した。狭いところで、他にすることが無かったのもあるけど、
きっと喋ることで、みんな“不安な気持ち”を紛らしているんだと思う。
――最初に“それ”を口にしたのは栞菜だった。

「ねえ、もしあたしたちが、今日ここから出なかったらどうなるのかな?」
「どうなるって?」

早貴が訊き返した。

「ほら、何とかって言ってたじゃん。きょーせい……?」
「強制執行?」
「そう、それ!」

栞菜が早貴を指差して、言葉を続けた。

「強制執行ってさあ、どんなことするんだろうね」
「早貴知ってるよー、TVのニュースで観たことあるもん。お巡りさんがいっぱい来て、
 お家を取り囲んで、それで住んでる人を無理やり追い出して連れていくの」
「えー!?やだ、こわいこわいこわいー!!」

怖がりのえりかが身を縮めた。

「じゃあ、あの宮本って人が、きっとお巡りさんをいっぱい連れてきて……」

栞菜が続けて言った。愛理と千聖とマイは、ずっと黙ったままそれを聞いている。
まだ低学年の三人には、自分たちがしていた事の重大さがよくわかっていなかったのかもしれない。
やがて愛理が顔を上げた。

「ねえ舞美ちゃん」
「ん?」
「……あたしたち、タイホされちゃうのかな?」
「そ、そんな訳ないじゃん!」
「でも、お巡りさんって……」
「大丈夫だよ、……お巡りさんが来るよりも、先にサンタさんが来てくれればいいんだから」

愛理を、そしてみんなを安心させようと舞美が言った。

「でも、まだ明るいよ。サンタさんは、きっとみんなが寝るような夜じゃないと来てくれないよ」

千聖が言い、「えー!?じゃあタイホ?やだようタイホ!」マイが声を上げた。

「大丈夫だって、絶対そんなことにはならないから!」

つい、舞美の語気が強まった。不安なのは舞美も同じだった。
どうしよう、とんでもないことにみんなを巻き込んじゃったのかもしれない……。

「……そうだよ、その強制執行っていうのだって、今日じゃなくて明日かもしれないじゃん」

えりかがみんなに言った。……えりは、いつも私を助けてくれる。ありがとう、ホントに感謝してる。
えりかのためにも、みんなのためにも、少しでも早く先生が来てくれることを舞美は願った。


ここに閉じこもってから、かなりの時間が経った。
まだ窓から日は差しているけれども、誰も時計を持っていなかったので時間がわからない。
みんな疲れてきたのか、口数が少なくなってきた。お風呂場の窓の外から何か気配を感じる度に、
みんながビクッとしているのがわかる。お巡りさんが周りを取り囲んでないかと考えて、余計に
疲れてしまうんだろう。

「ちょっと、おトイレに行ってくる」と言って舞美はお風呂場を出た。
トイレへ向かう廊下の途中にある戸が開け放されていた。トイレを済ませた帰り、舞美は開いていた
戸から部屋へ足を踏み入れてみた。荷物を運んだ後だったけど、残されている家具もいくつかあった。

その中の一つ、『差し押さえ札』が貼られたピアノの前に、コートを着たおかあさんが座っていた。
少し前屈みになり、脚にひざ掛けを乗せ、カバーの掛かった本を開いている。
舞美に気付いているはずなのに、おかあさんは本に視線を落としたまま顔を上げない。

話したいことがある……と舞美は思った。しばらく立っていたあと、舞美の方から声を掛けた。

「……ねえ、おかあさん、おとうさんは?」
「ここは私がいるから心配しないでって、荷物といっしょに引っ越し先に行ってもらった」
「残ってくれて……ありがとう。みんな喜んでた」
「ううん、立ち退きだからって、お掃除くらいしていかなきゃと思ってたんだけど……何かもう
 馬鹿らしくなっちゃって」

答えてはくれるけど、顔を上げてくれない。

おかあさん……と再び言いかけて、舞美は言い直すことにした。
きっと、そのことを訊くときは、おかあさんじゃなくて……と思ったから。

「……美也子さん、先生から何か連絡は?」

舞美の言葉に、おかあさんは……美也子さんは少し驚き、やっと顔を上げてくれた。

「何にも連絡は無いの。あの人、どこで何をしてるんだか……」

そして、可笑しそうに舞美を見つめた。

「美也子さん、かあ……。そっかあ、舞美も、もうお姉ちゃんだもんね」

そんな風に言われても、何か恥ずかしいよ……。
舞美が答えに詰まり黙っていると、美也子さんは真面目な顔になった。

「ねえ舞美。お姉ちゃんなら、もうわかるよね。あのとき、先生が言ってたことの意味……」
「僕に、まかせてって……?」
「うん。それは……?」
「お金を、用意して……それでお家を買い戻すこと……?」
「そう……。だから、本当に先生が来て、そんなことを言い出したら、私は断ろうと思ってるの」
「え……!?」
「お家が買えるほどのお金なんて、そんなに安い金額じゃないの。人に簡単に出してもらっていい
 お金じゃないのよ。わかる?」
「でも……」
「いくら先生がおとうさんに世話になったからって、甘えられることじゃないの。それくらい、
 お金のことは大事なことなの。おとうさんが、ここにいてもそう言うはずよ」
「…………」
「それを、あの人に言うために、私はここに残っているの。……ごめんね、あなたたちには恨まれる
 かもしれないね」

みんなの顔が頭に浮かんだ。瞬間、涙が浮かび溢れた。私は、何のために頑張ってたんだ……。

先生を信じて、待つことにしたのに、先生が来たら、全部が終わる。
涙が両頬を伝う。けれども拭う気がしない。顎で一つになった涙が床へこぼれ落ちる……。

舞美は、立ったまま、わあわあ泣いた。
美也子さんが立ち上がった。舞美と並ぶと、まだ頭半分ほど大きい。
舞美の頭を片手で抱えると、もう片方の手で体を抱き寄せる。

「もう、さっきお姉ちゃんだって言ったばかりなのに、おかしいよ舞美ったら……」

ぎゅっと抱き締めてくれた。舞美がそのまま抱き締め返した。
美也子さんが……再びおかあさんになった。

「それにさあ……まだわからないよ?」

おかあさんが、嗚咽の止まらない舞美の体を少し離して、その顔を優しく見下ろした。

「舞美さあ、去年のクリスマスに言ってたじゃない?サンタさんのプレゼントって、その時、
 その子にとって本当に必要なものをくれるんだって。だから……」

……言葉を続け、そして最後に微笑んだ。突然の話に、驚いた舞美の嗚咽がぴたりと止んだ。


「舞美ちゃんどうしたの?」「大丈夫、舞美ちゃん?」

舞美がお風呂場に戻ると、みんなが心配して声をかけてきた。
……恥ずかしい。私の泣き声は、ここまで聴こえてたのかな?
いや、聴こえてなくても、きっとバレてるな。多分、目が真っ赤だ。

「……おかあさんが、もしも夜まで待って、サンタさんが来なかったら、みんなでそこから
 出てきなさいって」

舞美は、【一番最後に】おかあさんに言われたことを、そのままみんなに伝えた。

「ええー!?」「そんなあ!!」みんなが落胆の声を上げた。

その前に、おかあさんが言っていたことを、舞美は黙っていた。
私が望むもの、必要だと思うものと、みんなが必要だと思うものは同じなのかわからない。
「きっと同じだ」と、勝手に決めつけたくないと思ったから。
窓から見える日が暮れ始めていた。みんなが下を向き、黙ってしまった。

「……ねえ、みんなで歌をうたおうよ」

沈黙を破ったのは愛理だった。

「元気がないときは歌をうたうと元気が出るよって先生が言ってた。だから、みんなでうたお」

「でも、何の歌を?」早貴が訊いた。「みんなが知ってる歌じゃないと」えりかが言った。

「きよしこの夜がいいよ、みんな歌えるし、サンタさんも早くきてくれるかもしれないじゃん!」

千聖が手を上げて答えた。「それがいい!」「そうしようよ!」栞菜とマイが賛成した。
「ね、舞美?」えりかが訊いた。「舞美ちゃん?」みんなが舞美を見上げた。
「……うん!」赤い目をした舞美が笑うと、みんなも笑った。

舞美が合図をして、みんなの声が重なった。お風呂場に響く歌声が気持ちよかった。
多分、時間はもう無い。私たちがどうなるか、誰にもわからない。
それでも、みんなで声を合わせている間、不安はどこかへ消えていた。不思議な安堵さえ感じた。
“歌”はいいなと舞美は思った。先生と愛理が、歌が好きな理由が少しわかった気がした。

そして、みんなで声を合わせて気付いた。きっと、私たちが望むものは同じ―― 。
だから、舞美は、うたいながら手を合わせ、最後のお願いをしてみた。
どうか先生が来てくれますように……。みんなが、本当に望むプレゼントを持って……。

その時、お風呂場の向こうの洗面所の扉が開いた。擦りガラスに、大人の男性のシルエットが見えた。

みんなが緊張して身構える中、

「……みんな、こんなところで何をやってるんだ」

先生の声が聴こえた。
来てくれたんだ!舞美の瞳が輝いた。あとは、先生が何を考えているかだ……。

「ここを開けて、出てきてくれないか? 実は……サンタクロースを連れてきたんだ」

「え!?」「サンタさん!!」驚いたみんなが声を上げた。
立ち上がった千聖が鍵を開けると、「ねえサンタさんって、どこ……?」はやる気持ちを抑えきれない
ように扉を開けて、外へ顔を覗かせた。それに続こうと、みんなが立ち上がった。

「あ!!」

先生の後ろに立っていた人を見て、みんなが固まった。舞美の表情が凍りついた。
ずっと、信じて、待っていたのに……。舞美は、最悪な結末を予感した。

――そこには、裁判所の執行官の宮本が立っていた。

 ―――――――

2008年12月24日、夕方―― 、
舞美たち七人は、大きな荷物を抱えてバスを降りた。
バスが走る大通りから、小さな路地を曲がり住宅街に入ると、舞美はポケットから葉書を取り出した。
差し出し先の住所を頼りに、すでに街灯の点った住宅街を少し歩いて、その“お家”を見つけた。

家の前に立つと、インターホンがあったが、これを鳴らすと気付かれてしまうかもしれない。
舞美は携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。数コールで出た相手と、ほんの少し会話をした。

「……あ、どうも、よく来てくれました」

玄関の扉が開いて、出てきた大人の男性が頭を下げた。
舞美たちも挨拶をすると、まだ二十台の後半くらいに見える感じのいい男性が「話はうかがって
いますよ、どうぞ」と、みんなを家の中へ招き入れてくれた。

「……あの、こっそり着替えたいんですけど、場所はありますか?」

舞美が、手に持った荷物を掲げて小声で言うと、男性が「あ!じゃあこちらへどうぞ」と
案内してくれた。男性の後を続いて廊下を歩きながら、舞美は不思議な感覚にとらわれていた。
……何故だろう、初めて来た家なのに、どこか懐かしい感じがする。

「このお部屋を使って下さい」男性が、一つの部屋の戸を開けた。「今、みんな向こうの部屋で
パーティーの準備に夢中なんです」男性が微笑んだ。「それじゃあ……」と舞美たちは部屋に入った。
「準備ができたら、また連絡してください」男性が携帯電話を出して見せた。
舞美は静かに頷くと、男性を見送って、そっと戸を閉めた。

着替えるために部屋のカーテンを閉める。ピンクと白のチェック柄の、可愛いカーテンだ。
周りを見渡す。この部屋の主は、どうやら女の子らしい。部屋の中には、可愛い小物や装飾などが
あふれている。壁を見ると、男性アイドルグループのピンナップが貼られている。

壁で微笑む男性アイドルの横には、『おとうさん』と書かれた、舞美たちを案内してくれた男性を
描いたらしい絵と、『おかあさん』と書かれた、優しく微笑む女性の絵が貼られていた。
舞美は、さっき感じた不思議な感覚の、懐かしさの正体がわかった気がした。
……きっと、この家を包む、温かい感じが似ているのかもしれないな、と思った。

「ねえ、これ似てる!」マイが壁の絵の一つを指した。「おじいちゃん、だって!」千聖が笑った。
「こら!」舞美は人差し指を唇に当てて静かに怒った。でも、本当に似てるな、と白い頭の男性の
絵を見て舞美も可笑しくなった。

かばんから、サンタの衣装を取り出す。みんなでクスクス笑いながら静かに着替える。
どこかの部屋から、ピアノの音が聴こえる。……あれは、もしかしたら、あのピアノなのかな?
あの、人騒がせなピアノ……。あの年のクリスマスイブを思い出し、微笑む舞美の瞳が少し潤んだ。

 ―――――――

先生が、風呂場に立てこもっていた舞美たちを連れ出して部屋へ戻った。
宮本が、後をついていっしょに部屋へ入った。おかあさんが、部屋の隅に立っていた。
……宮本の他に、みんなが想像していたお巡りさんたちはいなかった。

「一体、何をやってるんだ。こんなことをして、みんなに心配をかけて」

先生が言った。みんなが下を向き「ごめんなさい」と謝った。
舞美は一人(謝るもんか)と下唇を噛んで黙っている。

「……それに、みんな君の言うことなら聞くのに、君までいっしょになっちゃ駄目じゃないか」

先生が舞美を叱った。おかあさんから聞いたのかな……。それでも、舞美は謝らない。
信じて、待ってろって言ったのは自分じゃないか。
それに、サンタクロースを連れてきたって言ったくせに、先生が連れてきたのは……。

「……どうも、ご心配をおかけしました」

先生が、後ろを振り向いて宮本に頭を下げた。舞美が、先生越しに宮本を睨んだ。
しかし、

「……いや、何事も無くてよかったです」

そう言った宮本の表情が、ふっと緩んだ。どこか、ホッとした顔になった。
その表情の変化を、舞美は見逃さなかった。
これまでに知っている宮本とは全然違う、その印象の変化に舞美は戸惑った。

「それに、こちらも遅くなって申し訳ないです。後で聞きましたが、音楽家だそうですね?」

先生が頷くと、宮本は黙ってピアノの方まで歩き、貼られていた『差し押さえ札』をべリッと
音を立てて剥がした。

「自分一人の判断で出来ることではないので、少し時間が掛かりましたが……」

舞美たちが驚いて見つめると、宮本は視線を逸らすように下を向いた。そして、抱えていた
かばんに手を入れ、一枚の書類を取り出した。

「これがピアノを除いた差し押さえ品のリストになります。一応、確認しておいて下さい」

書類を手にして、先生とおかあさんが頭を下げた。

「……あ、ありがとうございます!」

舞美が深く頭を下げると、「……これも、仕事ですから」事務的な冷たい口調が返ってきた。
宮本の雰囲気が、舞美たちが知る、いつもの宮本に戻っていた。
それでも舞美は、さっきの宮本の表情を決して忘れないと思った。

「……それと、本日は予定どおり、この家の売却決定の通知が出たのですが、落札者からの
 代金納付があって所有権が移転するまで、まだ一週間ほど期間があるようです。それまでに、
 このピアノも忘れずに運んでおいてください」

宮本が、そう言い残してこの家を後にした。舞美は、何だか拍子抜けしてしまった。
静かな部屋に、先生と、おかあさんと、舞美たちだけが残った。

「……まったく、風邪でもひいたらどうするんだ」

先生が、舞美たちを見下ろして言った。そして、おかあさんの方を向いた。

「いや、役所の仕事って、本当に遅くてどうしようもないよなあ……」

誰も返事をしない。しばらくの沈黙の後、

「すいません!……今の自分には、競売に入札して家を買い戻すほどの金額は、まだ用意できません
 でした」

先生が、大げさに頭を下げた。
おかあさんが「ふぅ……」とため息をついてみせた。そのあと、少し微笑んだように見えた。
先生が顔を上げたとき、

「センセー、サンタさんは……?」

マイが訊いた。「いないじゃないかあ、ウソつき!」千聖が言った。みんなが先生の顔を見上げた。

「……サンタさんなら、ここにいるよ」先生が静かに言った。みんなが「えっ?」と先生を見た。

「君たちに、このお家を取り戻してあげることができなかったけれど、僕にしてあげられることは
 何かって考えたんだ。……みんな、先生がおとうさんになるのは嫌かい?」
「……え、えーっ!?」

みんなが驚きの声を上げた。

「それにしても、役所の仕事ってのはどこも遅くて、ホントにしょうがない。ねえ?」

先生が、そう言っておかあさんの方を向いた。

「……養育里親というのには、独身でもなれるそうだね。この前、里親の申請をしてきました。
 児童相談所で面談をして、条件の調査も済み、今は審議中だけど、多分問題は無いそうです」

突然の話に、みんなが黙って先生の顔を見つめている。
舞美は一人、先生の『独身でも……』という言葉が気になって、おかあさんの顔を見た。
おかあさんは黙って先生の話に頷いている。

「……でも、一つ困ったことがあって、里子として養育できる人数は六人までだって」

“六人”という数字の意味に、舞美たちは顔を見合わせた。一人、余る……。
そんなのは嫌だ。……絶対に嫌だ!

みんなが祈るような顔で先生を見た。

「……それで、『六人じゃあ困るんです、七人じゃないと』と、ここのホームの事情と、
 あなたのことを話しました。そしたら、児童指導員としての資格を持つあなたがいっしょなら、
 特例として認められないこともないと言うんです。だから……」

先生が、着ていた上着のポケットに右手を入れた。

「美也子さん……この子たちのためにも、もう少しだけおかあさんでいてくれませんか?」

先生が右手を差し出し、おかあさんに頭を下げた。
その指先に、綺麗に光る小さな指輪があった。それを見て、みんなが「あーっ!」と驚いた。

「桜さん……」

おかあさんが口を開いた。そして「……ずるい言い方」ポツリと言った。
先生は頭を下げたままだ。舞美は息を呑んだ。みんなが祈るような目でおかあさんを見ている。
しかし、

「いや!」

おかあさんが、強い口調ではっきりと言った。
先生が「えっ!?」と顔を上げた。みんなが泣きそうな顔になった。
おかあさんは、そんなことなど気にせずに、すました顔で言った。

「これまで、ずっとおかあさんって呼ばれてたけど……本当はママって呼ばれてみたかったの。
 それならば」

おかあさんが、笑顔で先生から指輪を受け取った。
「……それなら、僕はパパだな」先生が言った。その瞬間、みんなが「わあー!」と歓声を上げて、
おかあさんに抱きついた。

「……それにしても」

先生が、照れた顔を誤魔化すようにピアノに視線を向けた。

「何で裁判所の人はもっと早く来てくれなかったんだ。これを運ぶときは、もう一回引越し屋さんを
 呼ばなきゃいけないじゃないか」
「早く来てくれなかったのは、先生も同じ!」

舞美が怒ったような口調で言い、先生が「ごめんよ、指輪の準備とか、……あと心の準備とか、
いろいろと……」小さな声で言い訳しながら頭を掻いた。
舞美とおかあさんが、顔を見合わせて微笑んだ。

――舞美は、二人だけになったとき、おかあさんが言った言葉を思い出した。

「舞美さあ、去年のクリスマスに言ってたじゃない?サンタさんのプレゼントって、その時、
 その子にとって本当に必要なものをくれるんだって。……だから、私も信じることにしたの。
 あなたが、自分に本当に必要だと思うものはなあに?それはこのお家なの?」

少し考えて、舞美は首を横に振った。でも、その“答え”は恥ずかしくて口に出せない。
おかあさんが続けた。

「実は私にも、今年は欲しいものがあるの。それはね、……大好きな人からのプロポーズ」
「え、えええ!?」
「私にはわかるの。あの人のことだから、それはきっとあなたの必要なものと同じになるはず。
 だから、もう少し待ってみましょう」

あのとき、おかあさんはそう言って舞美の涙を拭いた。

「何だよ、誰もこっちには来ないのか」

先生が、おかあさんのところにだけ行く子供たちに不満そうに言った。

おかあさんが「ばあか」と遠慮なく言い、みんなが笑った。

お風呂場で、困った私を助けて励ましてくれたみんな。泣いた私を、優しく抱きしめてくれた
おかあさん。私を心配して、叱ってくれた先生。……さっきは、反発してしまった。
みんなとも、これから喧嘩もするかもしれない。
それでも、きっとすぐに仲直りできるはず。言いたいことを言い、思い切り笑いあっている、
この場の温かな雰囲気に包まれた空気を感じて、舞美は思った。

――サンタクロースは、その子にとって必要なものをくれる。
ここには、舞美が望んだ“家族”の姿があった。


ピアノは、ひとまずこの地域の大舎制の児童養護施設へ送られた。
それから先、ピアノがどこに運ばれたかはわからない。
私たちは、里親の認定を受けた先生と、結婚したおかあさんの元で里子として暮らすことになったから。

舞美たちは美也子さんを、少し照れながらも「ママ」と呼んだ。
しかし先生を「パパ」とは恥ずかしくて呼べなかった。逆に「先生、おかあさんと結婚したかったから
私たちを利用したんでしょ?」なんて、みんなでよくからかった。

しかし、里親に定められた半年の試験養育期間というのを過ぎて、先生は言った。
「君たちが決めることだから、無理強いはしない。時間をかけて考えて決めればいいよ。
 ……でも約束する。君たちを、絶対不幸な目には遭わせない」と――。

私たちは、みんな迷うことなく返事をして、養子縁組の届けが出された。
私たちは、本当の家族になった。

 ―――――――

「……ねえ、ドキドキするね」

パーティー会場である部屋の前に立ち、愛理が小声で言った。「うんうん」栞菜が頷いた。

舞美たちはサンタの衣装で、ハンドベルとプレゼントを入れた袋を持って、扉の前で出番を待っていた。
部屋の中からは、『ジングルベル』の曲と子供たちの楽しそうな声が漏れ聴こえている。

――今度は私たちが、何かをしてあげたいと思った。
同じような境遇にいる子供たちに、今の私たちにできることを。
先生が……パパがしてくれたみたいに。

「緊張するぅー!」早貴が大きく深呼吸をした。
「どうしよどうしよ!」慌てる千聖を「落ち着け!」マイが一喝した。
ノースリーブにミニスカートのワンピースやショートパンツという格好だったけど、みんな寒さなど
忘れるくらいに緊張してるようだ。

「……みんな、今日は可愛いサンタさんたちが、素敵なプレゼントを持ってきてくれたよ」

扉の向こうで男の人が言った。「えー!?」「本当!?」と子供たちがどよめく声が聴こえる。

(いよいよ、だあ……)緊張した舞美の背中に、そっとえりかの手が触れた。
舞美は振り返ると(……大丈夫!)と視線でえりかに答え、そのまま「いくよッ!」と声をかけた。

「みんなあ、メリークリスマス!!」

扉を開け、舞美はとびきりの笑顔で両手を振った。続くえりかたちが「イエーイ!!」
「メリークリスマス!!」と手を振って部屋に入った。
思わぬキュートなサンタさんたちの乱入に、子供たちから「わああ!!」と歓声が上がった。

広い部屋は、暖房と大勢の人の熱気でとても暖かかった。
部屋の真ん中には低いテーブルが二つ並べて置かれ、お菓子やジュースが並べられている。
そのテーブルを囲んで、子供たちがカーペットが敷かれた床に座っている。

子供たちのどよめきが収まらない中、舞美たちは横一列に並んで立った。
小学生くらいの男の子と女の子がいる。愛理や千聖と変わらないくらいの年齢の女の子もいる。
女の子から「カワイイー!」と声が飛んだ。男の子はちょっと照れているようだ。

少し落ち着いて、舞美はあらためて部屋を見渡す。
ここは、この家の居間になるのかな、かなり広い。子供たちの横には一人の女性が座っている。
部屋には、綺麗に飾りつけられた小さなクリスマスツリーがあり、壁や窓にもクリスマスらしい
手作りの様々な飾りつけがされている。

横の壁際には、さっきまで誰かが弾いていたピアノがある。やっぱり、見覚えのあるピアノだ。
舞美たちの正面の壁際にはソファがあり、白髪の男性が座っている。

「みんな、このサンタさんたちは、おじいちゃんが前にいたホームで育ったお姉さんたちだよ。
 今日はみんなへプレゼントをするために来てくれたんだ」

男の人が紹介すると、子供たちが「へええ」と声を上げて、ソファの男性の方を振り向いた。
おじいちゃんと呼ばれたその男性の、文字通り目を丸くして驚いている顔が舞美は可笑しかった。
舞美の横に並んだみんなが、懐かしいその顔に手を振った。

「……じゃ、いいですか?」

舞美が言うと、舞美たちを紹介してくれた男の人は頷いて後ろを向いた。
部屋の隅に、白いクロスを掛けた細長いテーブルが寄せてあった。あらかじめ伝えて、用意して
おいてもらったものだ。不自然に見えないように、上に小さなCDラジカセや花瓶が飾られていた。
それを、協力してもらって少し前へ出す。手分けをして、上に乗せてある物をそっと下ろす。
廊下から、白くて大きな袋を持ってくる。その中からハンドベルを取り出してテーブルに並べる。

「サンタさんっていっても……私たちには大したものはあげられないけど、一生懸命考えました。
 ……これは私たちがサンタさんに教わった曲と演奏です」

舞美が言って、みんなで片手に一つずつのベルを握り、構える。

女の人が立ち上がり、壁のスイッチを操作して部屋の照明を少し落とした。
舞美は横を向いて、みんなを見渡す。みんなが頷くのを確認して、再び前を向く。

「きよしこの夜、聴いて下さい」

言って、一呼吸置き「ワンツースリー、ワンツースリー」舞美の合図で演奏が始まった。
胸の高さに構えたベルを、手首を使って手前から向こう側へ倒して音を出す。
倒した腕を、円を描くように振り上げて音色を綺麗に響かせる。最後にベルを胸に当てて止める。
その綺麗な音色の旋律が、辺りを厳粛な雰囲気で包む。

テーブルには、まだ三つのベルが置かれている。
愛理と早貴が、途中で片手のベルを持ち替えて演奏を続ける。
いくつかのベルは、自費で買い足していた。むずかしい楽譜を用意して練習をした。
久しぶりに会うおとうさんに、少しは成長したところを見せたいと思ったから。

――その結果は示せただろうか。
そして、子供たちは喜んでくれただろうか。
曲の最後の音が止み、ほんの一瞬の静寂の後、部屋の中が温かくて大きな拍手で包まれた。
その、子供たちの笑顔に、舞美はホッと胸をなでおろした。

「……ありがとう!ケーキとお菓子もいっぱい作ってきたから、みんなで食べてね!」

ベルをテーブルに置き、えりかが足元に置いていた袋を掲げると、子供たちから再び歓声が上がった。


演奏を終え、再び照明が灯された部屋で、舞美たちはパーティーに加わった。
作ってきたお菓子とカップケーキが新たに並んだ大きなテーブルを囲んで、みんなが子供たちの間に
一人ずつ座った。舞美はソファに座る白髪の男性の側にそっと腰を下ろした。

「おとうさん、久しぶり!!」

「……おいおい、ここでの私は“おとうさん”じゃないよ。ここには、もっと若くてちゃんとした
 おとうさん役、おかあさん役がいる。ここでの私は、もう“おじいちゃん”だ」

おとうさんと呼ばれた男性、かつて『虹沢ホーム』と呼ばれた小さなグループホームの施設長、
虹沢大助が苦笑いを浮かべ答えた。

「それでも、私たちにとってはずっと“おとうさん”だよ」

舞美が言うと、テーブルを囲んで二人の会話を聞いていた姉妹みんなが「そうだよ」と頷いた。

「それにしても、あまり驚かさないでくれよ。来るのなら知らせてくれればよかったのに」

「だってサンタさんだもん。『今から行きまーす』なんて言うサンタクロースはいないよ?」

舞美がニッコリと微笑んだ。どうやら、サプライズは上手くいったようだ。
あとは、【最後のプレゼント】を渡すだけだ。気がつかれないように、コッソリと……。

「……それより、おとうさん。今年も暑中お見舞いの葉書、ありがとう」

舞美が、いっしょに持ってきていた葉書を出して見せた。
離れてからも、虹沢とは年賀状や暑中見舞いなど、季節の挨拶状のやりとりはずっと続けていた。
今年の夏に、新しい住所から届けられた葉書の裏には、おとうさんとおかあさん、まだ小学生の
舞美たちが七人、パパになる前の先生がレンガの家の前に立っている写真がプリントされていた。
『虹沢ホーム』の前で、最後の年にみんなで記念に撮ったものだ。

「ああ、これか。……荷物を整理していたら写真が出てきてね。たしか一枚しか無かったのに、
 引越しのどさくさで私が持ったままになってたみたいだから、ここの若い人に頼んで葉書に
 プリントしてもらったんだ」

虹沢が思い出すように言った。

「……この写真、懐かしくて嬉しかった。ありがとう」

舞美が礼を言うと、虹沢が「とんでもない」とでもいうように首を振った。

「感謝をするのは、こっちの方だよ。この写真を見て、いつも楽しそうだった君たちを思い出して、
 私はもう一度『ホーム』を建てようと思ったんだ。……君たちのように身寄りのない子を中心に、
 また家庭的なホームをね」

虹沢が、テーブルの子供たちを見渡した。そして「今度のお家は借家だけどな」苦笑いで付け足した。

「みんな、お菓子ばかりじゃなく、チキンも焼いたから食べてね」

この家の“おかあさん”が、女の子といっしょに料理を載せたトレイを運んできた。
子供たちに交じって愛理が「はーい!」と元気に手を上げた。
「美味しそうー」と、舞美も小さなチキンピースの一つに手を伸ばした。

虹沢が、チキンを口に運ぶ舞美の横顔を見ながらポツリと言った。

「……今は、生活は大変じゃないのか?寂しくなったりはしていないか?」

「平気、みんながいっしょだから。……あたしなんて、いっつも助けられてるし」

「そうか……」

虹沢が少し肩を落とした。

「……君たちには、悪いことをしたなと思ってる。私のせいで大切なホームを取られて、
 君たちを最後まで守ってあげることができなかった」

「おとうさんは悪くないよ。パパもママもずっとそう言ってた。それにパパは……、
 パパは、あのお家を取り戻してあげられなかったことをずっと悔しがってた」

「桜くんが……あの子がそんなことを」

虹沢が言って舞美の顔を見た。少し沈んだ舞美の表情に気が付いたのか、
「……そうだ」場の空気を変えるように明るい顔で言った。

「……ユウちゃん、マイクを持ってたろ?この子は昔から歌がとーっても上手かったんだ。
 今日はみんなに歌って聴かせてもらおう。な、愛理?」

「ん・ぐっ……、えっ、えっ、えーーっ!?」

突然の虹沢の提案に、チキンにかぶりついていた愛理がすっ頓狂な声を上げた。
ユウちゃんと呼ばれた中学生くらいの女の子が、「うん!」と返事をして席を立った。
少しして、玩具のようなマイクとコードを持って戻ってきた。マイクに小さなカートリッジを差して、
コードでTVに繋いでカラオケが遊べるオモチャらしい。

「これ、昔のオモチャだから古い曲しか無いけど……。モーニング娘。とか……」

ユウちゃんが申し訳なさそうに言うと、「……大好き!!」愛理が即座に答えた。
「じゃあ!」ユウちゃんが嬉しそうにマイクのコードを部屋のTVに繋いだ。

「ねえ、どうせなら、みんなで順番に歌おうよ!」

愛理が言い、みんなが賛成してカラオケ大会が始まった。
子供たちを交えてみんなが順番にマイクを握り、舞美の歌う番が来た。

「久しぶりだから、こっちを見てしっかり聴いててよ、おとうさん」

マイクを握った舞美が言うと、「あ、ああ……」虹沢が少しあきれたような笑顔で答えた。
舞美は歌いながら、テーブルの端にいた早貴を見て(今のうちだよ!)と目配せをした。
「あ!」気付いた早貴が静かに席を立ち、この家のおとうさんである男性に耳打ちをした。
何かの説明を受け、それからそっと部屋を出ていった。

舞美の歌が終わる頃に戻ってきた早貴は、何食わぬ顔をして席に座るとウインクをしてみせた。
舞美は虹沢の方を見た。気付いた様子もなく、舞美に最後の拍手をしてくれている。
成功した、と舞美は思った。

ユウちゃんが「おかあさんが、ごはんも食べていってねって」と、手作りらしい丸くて可愛い
手まり寿司をたくさん運んできてくれた。みんなで頂いて、お腹もいっぱいになった。

カラオケの次は、子供たちとたくさん遊んだ。
人数が多いので、千聖とマイが中心となって子供たちと輪になり、舞美たちが七人で昔よく遊んだ
ピンポンパンゲームをした。子供たちが知っているパーティーゲームも教わった。舞美は、後ろから
応援したり茶化したりして楽しんだ。男の子とも女の子とも、すぐに打ち解けて仲良くなれた。
――楽しいパーティーの時間は、あっという間に過ぎた。

時計が夜の九時を示すころ、虹沢が「あぶないから、あまり遅くならないうちに帰りなさい」と
心配をしてくれた。元の服に着替え、帰り支度を終えた舞美たちが「バスで来た」と言うと、
「近くのバス停まで送るよ」と、自分の部屋へ上着を取りにいこうとした。

今、自室に戻られると気が付かれてしまう。舞美たちは慌てて「大丈夫だよ、みんないっしょだから」
と虹沢を止めた。「……そうか」しつこく言う舞美たちに、虹沢もあきらめたようだ。
玄関で、子供たちといっしょに舞美たちを見送ってくれた。「また、遊びにきてね」ユウちゃんが
言った。家の前から、角を曲がって姿が見えなくなるまで、みんながずっと手を振ってくれた。


バス停に着くと、少し待って帰りのバスに乗った。
空いていたバスの最後部にあるロングシートの左奥に舞美が座り、その横にえりか、早貴、愛理、
栞菜と並んで座った。舞美の前にある二人がけのシートに千聖とマイが腰を下ろし、右側の前にある
二人がけのシートには、人が少なかったのでみんなのかばんを置かせてもらった。

「今日は楽しかったねえ!」早貴が声を弾ませ言うと「うん、また来ようね!」愛理が目を細めた。
「あのユウちゃんって子、可愛かったよね」栞菜が言うと「うんうん、歌も上手かった」えりかが
感心したように頷いた。

前の席では、暖かくなったら男の子たちにフットサルを教えると約束をした千聖が、春まで
待ちきれないのか、「今度はいつ行く?」とマイと次回の相談をしている。
みんなが、軽く興奮しているのがわかる。充足感に包まれて、心地よい疲れに酔っているようだ。

もちろん舞美もそうだ。窓に頭を預け、みんなの話を聞きながら楽しかった一日を噛み締めた、
――それにしても今日は慌しかった。舞美はそのうち、うつらうつらと軽い眠りに落ちてしまった。
どれくらい寝ていたのかわからないが、

「あ、雪だあ!」

千聖の声で「はっ!」と目が覚めた。「ねえ雪だよ!」マイが後ろを振り返って言った。
「ホントだ!」えりかが舞美に顔を近づけ窓の外を見た。舞美が「え……!?」と同じ方を見ると、
バスの外では粉雪が静かに舞っていた。「ホワイトクリスマスじゃん!」早貴が嬉しそうに言った。

「雨じゃなくてよかったね、舞美ちゃん」夕方、舞美にイジワルを言った栞菜がニコリとして言った。
「だから雨女は卒業だって言ったじゃん」胸を張ってみせた舞美に「じゃあ、今度から舞美ちゃんは
 雪女で……」と愛理が言って、即座に栞菜が「愛理それつまんない」冷たく言い放った。
「ううう、また言われたあ……」困り顔の愛理以外が「あははは」と軽く笑った。

そのまま、しばらく外を眺めていると、バスは舞美たちが知る“通り”に入った。
ところどころにクリスマスらしい綺麗なイルミネーションで飾られた建物がある。
舞い降りる粉雪が、やわらかな街灯の明かりを映してキラキラと光って見える。

自然とみんなが静かになり、外の景色に目を奪われた。舞美は不思議に思った。
……ここは、こんなに綺麗な街だったっけ?住んでいたはずなのに、思い出せない。

そのとき、バスが信号待ちの停車をした。
偶然バスが停まった場所に、舞美は驚いた。バスは、かつて『虹沢ホーム』だった建物の前で
停まっていた。舞美が座るバス最後部の左窓から、懐かしいレンガの建物が見下ろせた。
夕方にここを通ったときは、反対車線を走りながらだったので、よくわからなかった看板を見る。
建物は、レンガの外観をそのまま活かしたカフェに改装されているようだ。

扉にはめこまれた大きなガラスと、通りに面した窓から、店内の明かりが表に漏れている。
入り口脇には大きなクリスマスツリーがあり、扉には赤いリボンのついたクリスマスリースの
輪が飾られている。

舞美は、無言でそのお店を見下ろした。
おとうさんが子供たちのために作ったホームが、……行き場所を無くした私たちが出会い育った
大切な“お家”が、取り上げられてお店になっている。

――舞美は、信じていた人を裏切る行為を許せないとずっと思っていた。
信じていたおとうさんを裏切り、借金を返さないまま逃げていった人を。
……そして、私たちを養子として迎える前に『……約束する。君たちを、絶対不幸な目には
遭わせない』と言ったくせに、お金だけを遺して、さっさと事故で逝ってしまったパパのことを――。

「舞美……」えりかが声をかけた。
「…………」返事ができない舞美がそのままカフェの入り口を見つめていると、扉が開いて中から
淡いベージュ色のコートを着た会社帰りらしい中年の男性が出てきた。手に、底が広くて角ばった袋を
下げている。店の中に、ケーキのショーケースが見えた。あの袋はケーキだろうと舞美は思った。

男性は、雪が降ってきた空を一瞬見上げ、前を向くとバスの進行方向と同じ方へ歩いていった。
男性とすれ違うように、腕を組んだカップルが歩いてきた。身を寄せ合うように歩くカップルは、
カフェの前で立ち止まると、扉を開けて店の中へと入っていった。

舞美は、ケーキを下げて出てきた男性の顔を思い出す。店へ入る前の、カップルの表情を思い出す。
みんな、とても幸せそうな顔をしていた。人を、ああいう顔にしてあげられるのなら、このお店は
そんなに悪いお店じゃないのかもしれない。

クリスマスツリーが目に入る。舞美は、さっきのパーティーでの子供たちの顔を思い出した。
子供たちと遊んでいるときの、えりかや妹たちの顔を思い出した。久しぶりに会ったおとうさんの、
サンタになった私たちに驚いたあとの表情を思い出した。

――みんなが笑顔になる、特別な夜。

「……ねえ、えり」
「ん?」

今度は舞美からえりかに話しかけた。

「あたし……今なら全部許せる気がするな」
「……うん」

信号が変わり、バスが走りだした。後ろに過ぎ去るカフェを見送って、舞美が言った。

「……それに、あたしあのお店の雰囲気、嫌いじゃないよ。今度、みんなで行ってみようよ!」
「そうだね!」

舞美の笑顔に、えりかも笑顔で答えた。「うん、みんなで行こうよ!」早貴が言った。
「楽しみ!!」向こうから愛理が身を乗り出して言った。
舞美は、ほっとした表情で前を向き、背もたれに深く身を沈めた。

そういえば……舞美はふと思い出した。今日の昼前に、えりかと二人で栞菜に言ったな。
「もうクリスマスは別々でもいいんだよ」って。

この中で、誰が最初に『家族とのクリスマス』から抜けるのだろうか?
私はそのとき、本当に素直に祝福をしてあげられるのだろうか?
……わかんないな、と舞美は思った。みんながばらばらになるのは寂しいな、と少し悲しくなった。

でも、そんな日はかならずやってくる。だって、それは私からかもしれない。
だって、決めたんだから。さっきのカップルを見て。
今度は“パパ”としてじゃなく、“恋人”として「私を幸せにする」と約束してくれる人を探すって。
パパみたいに、優しい人を――。

舞美は、何かの憑き物が落ちたかのように清々しく笑った。

「……ねえ、おとうさん今頃びっくりしてるかな?」

カフェのケーキを見て思い出したのだろうか、“最後のサプライズ”を置いてきた早貴が言った。
「うん、絶対に驚いてるよ!」栞菜が言い、「だよね!」と、愛理が笑顔で答えた。

「……でも、千聖もあのチョコレートケーキ食べてみたかったな」

舞美が提案したチョコレートケーキ作りを手伝った千聖が残念そうに言った。
「あー、マイも!」隣でマイが頷いた。

「いいじゃん、また今度作ってあげるよ」えりかが諭すように言うと、
「……じゃあ、明日!」すぐに千聖が答えた。

「えー、明日ぁ!?あの生チョコ、手作りするんだよ?また作るの大変なんだから」
「いいでしょ?千聖もまた手伝ってあげるからさあ」困った顔のえりかを、千聖が上目遣いで
見上げて頼んだ。

「あたしも食べてみたいな!」“食いしん坊”の愛理が話に入ってきた。
「えりかちゃん、あたしも!あれ、美味しそうだったんだもん」栞菜がおねだりに加わった。
「ねえ、えりかちゃん?」最後に早貴が訊いた。

「じゃあさあ、明日は家でウチらだけのパーティーにしようよ!!」

マイの提案に、みんなが「賛成ー!!」と手を上げた。
「仕方ないなあ……」しぶしぶ答えるえりかに、みんなが「やったあ!」と声を上げた。

「あ……、あたしチョコレート食べれないからダメ!ねえ、えり。
 明日はフルーツのケーキをお願い!」

突然、割り込んできて言う舞美に「わかった!」えりかが満面の笑みで答えると、
『ちょっとお、舞美ちゃん!!』えりかと舞美以外の全員の声が合わさった。

ロマンティックな聖夜とはまだほど遠い七人を乗せ、バスは静かに帰るべき場所へと向かい走った。



「ふふふ……。やっぱり、な」

パーティーを終え、子供たちが寝支度を済ませて自分たちの部屋へ消えるのを見届けると、
虹沢は自室に戻って“それ”を見つけた。そして“思った通りだ”と小さく笑った。
小さな和室にある背の低い机の上に、綺麗なリボンがかけられた白い箱が置かれていた。

この箱は、おそらくクリスマスケーキだろうと思った。
「送るよ」と言ったときの舞美たちの態度で、何かがあると気付いた。その必死な様子が
可笑しくて、気が付かない振りをしてあげた。そのまま玄関で手を振って別れた。

……子供たちめ、サンタクロースとして現れたときはさすがに驚かされたけれど、
一日に二度も驚かされるものか。虹沢は内心でほくそえみながら机の前に座った。

机には、ブックスタンドで立てられた十数冊の本と、いくつかの写真立てが並んでいる。
写真立てには、先に亡くした妻の写真や、かつての虹沢ホームで子供たちと撮った様々な写真が
入っている。その中には、虹沢が暑中見舞いの葉書にプリントした舞美たちとの写真もあった。

白い箱はその手前に置かれていた。箱の上に、クリスマスカードがあるのに気が付いた。
虹沢はそれに手を伸ばした。

『おとうさんへ。
 パパは、おとうさんの大事なお家を取り戻してあげることはできなかったけど、かわりに
 私たちができることを考えました。このお家が、私たちにできる精一杯のプレゼントです。
 それでは、これからも体に気をつけて、たくさんの子供たちのために頑張ってください。
 えりか、舞美、早貴、栞菜、愛理、千聖、マイ 』

カードを読み、「かわりに……このお家が?」どういうことだと不思議に思った虹沢がリボンを
ほどき、箱の蓋を持ち上げてその中身を見て、「ああ……!」と驚きの声を上げた。
箱の中には、ケーキで作られた“お家”があった。

長方形の生チョコレートがレンガのように積み重ねられ、チョコレートのスポンジケーキの周りを
囲む壁になっている。クリームでカラフルに模様を描いたクッキーの扉と窓に、ココアウエハース
で形作られた三角の屋根がある。その上には、小さな七つのサンタの人形が乗っている。

虹沢は写真立ての中の、家の前でみんなで撮った写真とケーキを見比べて確信する。
このケーキは、間違いなく『虹沢ホーム』だ――。

「こんなの、勿体無くて食べられるわけないじゃないか……」

虹沢の瞳から涙がこぼれた。
虹沢は、いつかのクリスマスに舞美が言っていた言葉を思い出した。

『サンタさんのプレゼントって、その時、その子にとって本当に必要なものをくれるんだって』

かつて、子供たちのために、私財を投げうち小さなホームを建てた。
子供たちには、自分以外の誰かを思いやれと説いてきた。自分も、それを実践してきたつもりだ。
そこで育ち、巣立っていった桜くんが……その娘となった七人の女の子が、志しを受け継いで、
優しく、まっすぐな子に育ってくれている。

――大事なホームは失ってしまったけれど、自分の選んできた道は、決して間違いではなかったんだ。
キュートなサンタが、あらためて自分にくれた自信に、虹沢は涙を拭い力強い笑顔を見せた。
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