16歳の恋なんて

「でも、ホントにいいの舞美?」
「うん、ごめんねえり……」

舞美がそう呟くと、えりかがそっと舞美の傍を離れていった。
「待ってよえりかちゃん!」マイが跡を追った。
もう、覚悟は決めたはずなのに……。
すでに薄暗い冬の夜、思ったよりも切ないこの【別れ】に舞美の胸がちょっと痛んだ。

 ――――――――――――――――

「さ、寒いよお!」

大通りから一歩入った薄暗い路地裏に、千聖の声が響いた。
『行列が出来るラーメン屋』として有名なこの店の行列は、繁華街の裏という立地と
日曜の夜という条件が重なって今日はかなり長い。

「どうしよう、まだ時間かかりそうだから今日はやめて違うお店に行く?」

舞美が訊ねると、

「でもさ、せっかくここまで並んで待ってたのに、今から帰るのはもったいないよ」

千聖の横に並んでいた栞菜が冷静に答えた。
たしかにそうだ。もうかなりの時間をここで待ち、後ろにも次々と人が並び尽きることない
行列の、ようやく真ん中あたりへ達したところだった。
弱ったな、と舞美は密かに頭を抱えた。

「ねえ、やっぱり足がつべたいよお!」

寒さを堪えきれない千聖の口から再び弱音が漏れた。

「千聖、サンダルなんか履いてくるからじゃん!」
「だって、まさかこんなに並ぶとは思わなかったんだもん!」
「それにしても、何で真冬にビーチサンダルなんて履いてくるのよ!!」
「いいじゃん、千聖は締め付けられる靴って窮屈で嫌いなの!!」

栞菜と千聖が言い争いを始めた。
もう、仲が悪い訳ではないのに、この二人はすぐムキになって張り合い始める。
それにしても、たしかに千聖の素足はさっきから見ているだけで寒そうだ。

「ねえ、やっぱり今日は違うもの食べに行こうよ。並ばないで入れるところ」

言い争いになりそうな二人を制して言う舞美に、

「もうダメだよ舞美ちゃん、ほら愛理見てよ」

栞菜がさらに前に並ぶ愛理を指差した。

「に〜く♪に〜く♪ぶっ厚いチャーシュー、とんこつとんこつ♪」
「……ねえ愛理、ほら前の人が笑ってるから歌うの止めなよ」
 
列の前方では、恥ずかしそうな早貴が横で止めるのも気にせず、
愛理が軽い振りまで付けて嬉しそうに歌っている。

舞美は確信した。愛理はもう絶対動かない。愛理の頭にはもうとんこつラーメンしかない。
大人しく見えて、食べ物に関しては一番どん欲で強情な愛理、
あの子は美味しい物のためならこのまま五時間でも我慢して並ぶ子だ。

「千聖も大丈夫、こうなったら絶対食べていくんだから!!」

栞菜と張り合い意地になった千聖が、寒さをこらえて改めて宣言した。

……ああもう駄目だ。
まったく、何でこんな事になっちゃったんだろうな。
まさか、みんなと一緒にまたこのお店に来ることになるなんて……。

舞美たちが住む町の駅から三駅隣の地元の繁華街に、姉妹七人で買い物にきた日曜日。
「せっかくだから何か食べて帰ろうよ」と提案した舞美に、「美味しいお店があるんだって」
と愛理が案内してくれたのが、新しくオープンしたばかりのこのラーメン屋さんだった。

「このお店は止めようよ」「ほらすごい行列だよ」と言ってみた舞美だったが、
お店の周りに漂う、美味しそうなとんこつスープの匂いを嗅いでしまった、
一日歩きまわって空腹で冷えた体を抱えたみんなはもう説得できなかった。
そして七人で行列に並び、しばらく時間が過ぎていた。

「ねえ舞美ちゃん、そんなにここのお店は嫌なの?」
「え!?」

さっきから、違うお店へ行こうとばかり言っている舞美を不思議に思い栞菜が訊いた。
「そうだよ、舞美ちゃんだってとんこつ好きじゃん?」続けて千聖が言った。
こうなったら、変に疑われる前に正直に答えた方がいいな、と舞美は思った。

「……うん、あたしね、実はこの前一人でここのラーメン食べちゃったの」
「え、そうなの?」栞菜が驚いた。「じゃあさあ、美味しくなかったの?」今度は千聖が訊いた。
「美味かったと思うんだけど、 よく憶えてない……」
「何それ!?」

みんなに笑われた。
でもしょうがないじゃない。それどころじゃなかったんだから。

「お待たせしました、次にお待ちのお客様……」

店の入り口からは、頻繁に制服を着た店員が姿を見せ、食事を終えて出ていくお客さんと
入れ替えに列の先頭のお客さんを店内に招き入れている。
そして列は順調に前へと進んでいき、舞美たちはかなり前の方になった。

「ねえ、せっかくもうすぐなのに、えりかちゃんがいないよ?」
「そういえばマイちゃんも!」

千聖と栞菜が、後ろに並んでいたはずのえりかとマイが、いつの間にか姿を消しているのに
気付いて言った。

「……あ、えり達は買い忘れた物があったからって、後から来るから」

舞美が答え、「ふーん」と不思議そうに栞菜と千聖が頷いた。
そうだ、えり達が戻ってくるまで、ここで待ってなければいけなかったんだ。
もう逃げられないと舞美は覚悟した。こうなったら、せめてみんなに気付かれないようにしなくては。

「でも舞美ちゃんさあ、どうして一人でラーメンなんか食べに行ったの?」

思い出したように栞菜が訊いてきた。

「ううん、一人じゃなくて、先週の夜に駅前で偶然なつみさんと遭って、
『奢ってあげるからラーメンでも食べにいこうよ』って誘われてさ……」

なつみさんは、両親を亡くし、私達が姉妹だけで自立をしなければならなくなった時、
最初にいろいろ助けてくれた先輩のお姉さんだ。
とっても優しくて、一回りも年上なのになんだか可愛くて、
……でもほんのちょっぴりだけ意地悪だ。

「なあんだ、でもそんなの別に隠すことでもないじゃん」
「だって、自分一人だけ美味しいラーメン食べにいってたなんて悪くてさ……」

舞美はそこで口ごもってしまった。 「何それ、そんなの気にしないよ」と栞菜が笑った。
でもゴメンね栞菜、ホントのことなんて言えない。恥ずかしくて言えるわけがない。

そこで店員が顔を出し、さらに列の先頭三名を店内に招き入れ、舞美たち姉妹の前は
残り数人のみとなった。
列が前へ進んだ分だけ、顔を出す店員の距離がぐっと近くなった。

「ねえ、今の店員さんちょっとカッコよくない?」
「あ、まーた栞菜の『あの人カッコよくない?』が始まったよ」
「なによお、いいじゃんだってホントにカッコよかったんだから!」

目ざとい栞菜を、さっきの仕返しとばかりに千聖がからかった。
今度は、栞菜が千聖に言い返す立場になった。このまま、また言い合いになるのは目に見えている。
しかし、今の舞美にそれを止める余裕は無かった。

――よかった、あたしのことに気付いてないみたいだ。

このまま下でも向いててあの人に気付かれなくて、店内でも大人しくしてれば
きっとみんなも気付かずに無事に帰ることができるはずだ。
(神様お願いします!)
と、舞美は普段からどこかにいると思う神様に、密かに祈った。

「ねえ今の店員さんやっぱりカッコいいって!まだ若そうだったよねえ、
 大学生のアルバイトとかかなあ!?」

千聖にバカにされたにもかかわらず、恋愛に関しては決してめげない・へこたれない・
こたえない栞菜が興奮した口調で思いを捲くし立てた。

「でも大学生だったとしたらさあ、中学生の女の子なんか相手にするわけないじゃん」
「そうだよねー、せめて高校生くらいにならないと」

思わぬ恋の話に、前で聞いていた早貴が冷静に、愛理が楽しそうに会話に加わってきた。
その瞳の輝きに、『やっぱり女の子だな』と、みんながとても可愛く思えた。

「でもさ、でもさ、本当に好きなら年齢なんて関係無いじゃん」

本当に、好きなら、関係無い、かあ……。
栞菜は恋愛に関してはいつもストレートで熱いな、と舞美は少し羨ましくなった。
そういえば、なつみさんとここで並んでたときも、最初は世間話なんかしてたはずなのに、
いつの間にか“恋の話”になってたな。あたしとなつみさんも立派な『女の子』だ。

いいや、恋バナっていっても、あたしの言うことは全部言い返され、
“26歳の恋愛”がいかに大変かって愚痴をただ聴かされてただけのような気がするぞ。
そういえばなつみさんは何とかって言ってたなあ、何だっけ……。

「ねえ舞美ちゃん、それに一目惚れだって悪いことじゃないよね?」
「……え!?え!?う、ううん!一目惚れなんかしてないよっ!!」

やばい、みんなと話していると思っていた栞菜が急に話しかけてきたので、
慌てて変な返事をしてしまった。

「……どうしたの舞美ちゃん、そんなこと訊いてないよ!?」
「ご、ごめん!ちょっと考えごとしてたから」
「ふーん、考え事ねえ」
「そ、そう、考え事」
「ねえ舞美ちゃん、今日やっぱり変だよ!?」
「な、何でもないに決まってるじゃない!」
「――お待たせしました、次お並びの方……」

その時、あの店員さんが店の前へ出てきて言った。
しまった、栞菜に気を取られてて、店からお客さんが出ていったのに気付かなかったんだ。
舞美は慌てて顔をそらした。
同時に二組、数人のお客さんが出ていったらしく、まず早貴と愛理の前に
立っていた人たちが「どうぞ」と店内へ呼ばれていった。

「あと、お席が二つ空いているんですが、お客様は何名様ですか?」
「五人ですけど、座るのは別々でもいいですから」

早貴が答えた。外食をする時、みんなでいっしょに座れるような広いお店以外では、
空いている席があれば分かれて座るようにしている。
今日も、先に食べ終えてしまった時は待ち合わせようとあらかじめ決めていた。

「ごめんねお先にー」と早貴が、「とんこつとんこつ♪」と愛理が店の中に入っていき、
「じゃあ、食べ終わったらいつもの所でね」と栞菜が手を振った。

舞美は、店員さんが店の中に消えるのを横目で確認し、ほっと安堵の息を吐いた。
と、それが聴こえたように栞菜が舞美の方に向き直って言った。

「栞菜はねえ……、舞美ちゃんなら、いいよ」
「え、……いいって、何が!?」

栞菜は何を言い出すんだ!?と舞美は身構えた。

「ううん、もうわかっちゃったからいいんだ」
「わ、わかったって、だから何!?」
「舞美ちゃんもさあ、あの店員さんのこと好きなんだよね」
「えーーっ!?」

舞美と千聖が同時に声をあげた。

「だって舞美ちゃんが先にこのお店に来てるんだし、みんなに知られるのが恥ずかしくて
 今日は来るのが嫌だったんでしょう?」
「ちょっとちょっと!何バカなこと言ってるのよ!?」
「栞菜は舞美ちゃんだったら譲ってあげてもいいよ。えりかちゃんがいなくなっちゃったのも、
 きっと気付いてて舞美ちゃんに気を使ったんだよ。舞美ちゃんだったら、もう高校生だから
 大丈夫だよ。栞菜が応援してあげるから!」

「え、うそうそ!?そうなの!?」と千聖が大きい声を出したせいで、後ろに並んでる人達が
舞美たちに注目した。もう、栞菜はこんなところで何てことを言い出すんだと舞美は焦った。

「どうも、ありがとうございましたあ」

店の中から、店員さんの威勢のいいの声と共に食事を終えた数人のお客さんが出てきた。
きっとあの店員さんも出てくるはずだ。よりによってこんなときに。

「お待たせしました、お客さまは三名様で、……あっ!」

店員さんが舞美に気付いて、そのままニッコリと微笑んだ。
その瞬間、舞美の頬が一気に紅く染まった。

「なに、舞美ちゃんもう告白しちゃってたの!?」
「もしかして、もうすでに付き合ってるとか!?」

栞菜と千聖が驚いて叫び、列の先頭が騒がしくなった。
店員さんが不思議な顔でこちらを見ている。
後ろに並んだお客さん達の好奇の視線を痛いほど感じる。
恥ずかしい、とにかくもうこの場にはいられない。

「そ、そんな訳ないじゃん、もー!!」

舞美は慌てて栞菜と千聖の肩を抱き、そのまま店の中へ逃げるように駆け込んだ。
その時、

「あー、すごいじゃない舞美ちゃん!!」

と、入ってきた舞美を見た愛理の大きな声が店内に響いた。

(あ、愛理、目立ちたくないんだから大きい声を出さないで!!)

しかし、それは無理な事だとすぐに舞美は悟った。
“その写真”はこの店に入った瞬間に、舞美の目にも大きく飛び込んできた。
たしかに写真は撮られたけど、まさか、こんなに目立つところに貼られてるとは思わなかった。

入り口から正面の、横に長いカウンターの上の壁に舞美の写真は飾られていた。
愛理の声で、満席のお客さんも“壁に貼られた写真の少女”の来店に気付いたようだ。
思わぬ有名人の来店に店内がざわつき始めた。

「ねえ、あれ舞美ちゃんじゃないの!?」
「ホントだ!舞美ちゃんあれどうしたの!?」

舞美と同じく店に入った栞菜と千聖が、やはり舞美の写真に気付いて大声で言った。
舞美の写真の上には、『デカ盛りとんこつスペシャル完食、初代とんこつクイーン!!』の
文字が仰々しく躍っていた。

「……ねえ舞美ちゃん、これ何やってんの!?」

入り口近くのカウンター席に、愛理と並んで座っていた早貴が、あきれたように言った。

「ち、違うの、これはなつみさんが勝手に注文しちゃって!」

舞美の写真には、Wピースをしている悪戯っぽい笑顔のなつみが後ろに小さく写っていた。

「うわはははは、舞美ちゃん、とんこつクイーンって!」

千聖が遠慮なく笑いころげている。「ち、千聖、笑っちゃダメだよ」と栞菜が止めようと
するが、自分も堪えきれずに下を向きしゃがみこんだ。ひぃひぃと言う声が漏れ聴こえる。
見なくてもわかる。泣き笑いで、その顔は涙でぐちゃぐちゃに違いない。
……くそお、思ったとおりの反応だ。だから来るのは嫌だったんだ。

「……でも、すごかったんですよ、店内のお客さん全員が応援してたんですから」

先週、舞美の挑戦を見届けたその店員さんが、興奮した口調で愛理たちに喋り始めた。
やっぱりあたしの事を憶えていたんだ。
まあ、あれだけ恥ずかしい思いをしたら、憶えていて当然か。
それにしても、余計なことは言わなくていいのに空気の読めない店員さんだ。

いや、この場の空気が読めてるから説明するのか。
だって、店内の視線は今や全て舞美に注がれているのだから。
……ああ、この雰囲気、先週といっしょだ。
舞美の顔がまた赤くなった。


先週、このお店に来た時に、壁に貼られたメニューの端に、なつみさんがそれを見つけて
しまったのが舞美の不運の始まりだった。
「面白そうじゃん、じゃあ舞美はそれねー」と、なつみさんが勝手に注文してしまった
『デカ盛りとんこつスペシャル』は大喰い・デカ盛りのブームに乗って始めたという
チャレンジメニューで、三十分以内に完食すれば賞金一万円、失敗すれば罰金五千円。
だが未だ完食者はいないということだった。

「無理だよそんなの食べられない!」と言う舞美に、「大丈夫だよ、舞美なら食べられるって!
……あ、でも失敗してもなっちはその分のお金は持ってないから、そん時は自腹でね」なんて
言われたら、嫌でも頑張らざるをえない。

たっぷりの麺と具が入った特別に大ぶりの器と相対し、その迫力に圧倒される。
しかし、退くわけにはいかない。対戦相手を前にした舞美に、退くという考えなどない。
それに、あたしの財布の中は、大事なみんなの食費と生活費なんだ。負ける訳にはいかない。

邪魔になる髪を無造作に後ろで一つに結んで気合を入れる。
そうだ、無理やり注文されたデカ盛りだけど、挑戦するからには勝つしかないんだ。
生来の負けん気が頭をもたげてくる。 さっきまでの弱気が嘘のように、舞美の闘志に火が点く。

麺と格闘する舞美の顔から滝のように汗が流れ落ちる。全身汗だくで、服の中がもうぐしょぐしょだ。
だけど、そんな事を気にしている暇はない。制限時間は三十分しかない。
食べても食べても無くならない麺の量に、ホントにこんなもの食べきれるのか?と不安になる。

店員さんが、刻一刻と減っていく残り時間を教えてくれる。その顔が、なんだかハラハラ
してるみたいだ。ペースが遅いんだろうか?「くそお!」舞美は気合を入れ直す。
負けない、絶対負けない、誰にも負けない!舞美のペースが上がる。

「残り一分」の声を聞いたとき、ついに大量の麺と具を食べ終える。残りはスープのみだ。
大きな器を両の掌でしっかり挟みこんで持ち上げる。すごく重たい。腕に力が入る。
スープもかなりの量だ。……でも大丈夫、このまま一滴残らず飲み干してやる。
「……3、2、1、」口をつけた器を一際高く持ち上げ、「……ゼロ!」の声よりほんの少し早く、
空の器をダンとテーブルに叩きつける。勝った!舞美はそのまま立ち上がって、
天井に向けて右の拳を大きく突き上げる。

「完食おめでとうございます!」と店員さんが祝福してくれた。
勝利の達成感が気持ちよかった。
そして「ちょ、ちょっと舞美」と服の裾を引っ張るなつみさんの声で我に帰った。
その時、舞美は初めて店内の大きな歓声に気付いた。

いつの間に、こんなに注目されてたんだ!?店内のお客さん全員があたしを見てるぞ!?
舞美は慌てて席に座り下を向いた。大きな空の器が目に入った。
(……は、恥ずかしい!こんな大勢の人の前で、あたし何やってんだ!?)
しかし拍手と歓声は鳴り止まず、みんなの注目の中で賞金を受け取った舞美は、店員さんに
促されてそのまま写真を撮られて、名前を答えると逃げるように店から飛び出してきたのだ。


「――で、最後のガッツポーズの時なんか、店内のお客さん全員が拍手してたんですから」

店員さんが、愛理たちにあの時の興奮を懸命に伝えようとしてくれている。
この人、まるで自分のことのように喜んでくれてたもんなあ。
でも、もういいよ、 そんな恥ずかしいこと説明しなくても。それに、興奮しすぎて声が大きいよ。

カウンターの中の別の店員に怒られて、「あ、お喋りすいません」とその店員さんが
空いている席に案内してくれた。でも、もう遅いよ。また店内のお客さん全員が自分に
注目しているじゃないか……。舞美は「はぁ」と息を吐き、そして再び決意を固めた。

「あ、あたしはとんこつラーメン大盛りにライス大盛り、あとギョーザふた皿で!」

舞美は右手を上げて、あえて大声で、元気よく、その店員さんに注文を伝えた。
期待通りの“大食いクイーン”の注文に、店内がまた「おお!」と軽くどよめいた。
中には拍手をしてくれてる人もいる。

「ちょっと舞美ちゃん!」「またそんなに食べるの?」

栞菜と千聖がまたあきれたみたいだ。でも、いいんだこれで。
「えへへへへ」と舞美は開き直って笑ってみた。思い切り笑ったつもりだったが、
その力無い笑顔がひきつって見えないかがちょっと心配だった。



「……ごちそうさまでした!」

大盛りを全て食べきった舞美が力無く手を合わせた。

「ねえ、美味しかったよね」「うん、また来ようね」
「いやぁだ、もう二度と来ない!」

満足げな栞菜と千聖に、舞美が正直に今の気持ちを答えた。

「でも舞美ちゃんさあ、今日は別に大盛りなんて頼まなくてもよかったじゃん。
 食べてるときだってあんなに苦しそうだったし……」
「いいの!」

心配する栞菜に、舞美はキッパリ答えた。
意地になってる訳じゃない。今日はあたしが頼みたかったから頼んだんだもの。

「さあ、まだ並んでる人がいるんだからあたし達も帰ろう」

先に食事を終えた早貴と愛理は、すでに会計を済ませて待ち合わせ場所に向かっているはずだ。
舞美たち三人も伝票を手に立ち上がった。
舞美が会計に立っている間、千聖がまたおかしそうに舞美の写真を指して言った。

「ねえ舞美ちゃん、今度は千聖がデカ盛り完食させてあそこに写真を貼ってもらうよ。
 そしたら舞美ちゃん一人だけじゃないから、もうあんまり恥ずかしくないじゃん?」

「いい話」に聞こえるが、すぐに栞菜が千聖の魂胆を見抜いた。

「ふーんだ、千聖の目的はどうせ賞金でしょ?」
「あはははは、わかった?だってあれ一万円ももらえるんでしょ?すごいじゃん。
 そういえば舞美ちゃん賞金もらったんでしょ?ねえ何を買うの?」
「ナイショ、さあ行こ!」

舞美は店員さんに軽く頭を下げると、店の扉を開いて外に出た。
(そういえば、えり間に合わなかったな、悪いこと頼んじゃったな……)
思い出し、心配になったその時、

「……舞美!」

舞美は自分を呼ぶえりかの声に振り向いた。
えりかとマイの二人が、まだ続く行列の前方に並んでいた。
店を出た舞美たちと入れ替わりに列の前の人が店内へ呼ばれ、えりかとマイが先頭になった。

「遅くなっちゃってゴメンね、舞美。……はい、これ!」

えりかが、その手に下げていた紙袋を舞美に渡した。

「ありがと、えり!じゃあ……、ハイ、これはちっさーに!!」

舞美は受け取った紙袋をそのまま千聖に手渡した。「え、なになに!?」と千聖が驚いている。

「いいから開けてみなよ」

舞美に言われるがままに、千聖が紙袋の中から大きな箱を取り出した。
えりかとマイが、ニコニコしながら見守っている。

「……ちっさーさあ、足が冷たいって言ってたでしょ?」
「あー、ブーツだああ!!」

千聖が、箱を開けて声を上げた。
箱に入っていたのは、ふわふわで温かそうなムートン製の、ベージュのハーフブーツだった。

「あんまり千聖の足が寒そうだからって、舞美が言ってね。
 ホントは並んでる時に持ってきて履かせてあげたかったんだけどさ、
 このサイズ見つけるのに時間かかっちゃって遅くなっちゃって……」
 
えりかが申し訳なさそうな顔で言うのを、ううん、悪いのはこっちの方だと舞美が遮った。

「ホントはあたしが買いに行くつもりだったんだけどね、えりに言ったら『舞美が行くと
 時間かかっちゃうからあたしが行くよ』って。ホラあたし優柔不断で選べないし……」
「違うよ、舞美ちゃんのセンスで選ばせると大変なことになるからウチらが行ったんだよ」

舞美の話を、今度はマイが可笑しそうに遮った。

「……マ、マイは、まだ足のサイズは千聖と同じでしょ?だから試し履きしてもらうのに
 一緒に行ってもらったの」
「ぎゃあああ」

舞美がマイの体を強引に引き寄せて、無理やり黙らせながら言った。

「……でも、こんなの」

突然の幸福を素直に受け止めていいものかどうか、千聖が迷っているようだ。

「いいじゃん、千聖ってたしか締め付けられる靴が嫌いなんでしょ?だからちゃんと楽に履ける、
 紐で締めないムートンの可愛いブーツ選んできたんだから」

自分のセンスに自信を持つえりかが言った。

「でもお……」
「それに、これはあたしのお金とかお家のお金とかじゃなくて、ちゃんと完食でもらった賞金で
 買ったんだから……」

舞美が言った。
なつみさんに無理やり注文されたデカ盛りだけど、食べはじめたらもう夢中で、
負けたくないという気持ちで完食させることしか頭に無かった。
……それに、完食したときの賞金のことも頭に無かったといえば嘘になる。

一万円あれば、この前見つけたLIZ LISA の可愛いニットが買える。
そういえば新しいスニーカーも欲しかったんだ。可愛い小物もいっぱい買いたいな……。

そうやって体を張って手にした賞金だもの。欲しいものだっていっぱいある。
だから【別れ】るのは思ったよりもつらかった。

……それでも、目に入ったんだから仕方ないじゃないか。
いつも家計のことを考えて、まず他のみんなのことを考えて、自分が退いちゃうその性格の、
『締め付けられる靴は窮屈で嫌い』と強がって我慢をしている、その寒そうな素足が……。

「もう、こんな恥ずかしい臨時収入なんて、さっさと使っちゃって忘れたいんだから
 遠慮せずに受けとりな!」

舞美があらためて言うと、

「それに、ちっさーがいらないならこれマイがもらうよ。だってサイズもピッタリなんだし」
「ううん、じゃあサイズが合わなくてもいいから栞菜がもらう」

続けてマイと栞菜が、意地悪く千聖の顔を覗きこんだ。

「……嫌だ!これは千聖がもらうっ!ありがとう舞美ちゃん!!」

千聖が慌てて箱の中のブーツを取り出して、それを両手で大事そうに抱え込み、やっと笑顔を見せた。
いつもいい笑顔だな、と思った。あらためて「よかった」と思えた。
まだ人がいっぱい並んでるラーメンの店先で、騒がしい娘たちだと思われてるだろうな。
でも、もうちょっと勘弁してもらおう。照れて笑っている千聖の顔がすごく可愛かったから。

そういえば、先週なつみさんもこんな気持ちだったのかな、と舞美は思い出してみた。
……いや、でも、あたしはなつみさんほど意地悪じゃないぞ。

先週、ラーメン屋を後にして、駅までの帰り道、

「あんた昔から大食いだったのにさあ、どうせ今は家計のこととか考えて遠慮して
 あんまり食べてないんでしょ?だから今日はなあんにも考えないで思いっきり
 食べさせてあげようと思って、あのデカ盛り頼んだんだけどさあ……」

そこでなつみさんが悪戯っぽく笑った。

「まさか本当に全部食べちゃうとは思わなかったわよ、あはははは」

もう、それならそうと最初から言ってくれればいいじゃないか。
「だって罰金持ってないって言ったじゃないの」と舞美が抗議すると「冗談に決まってるじゃん、
まさか本気にするとは思わなかったわよ」とまた明るく笑った。ホント意地悪なお姉さんだ。

「千聖、せっかくだからそれ履いて帰りなよ」

えりかの言葉に、千聖がうなずく。

「おお、やっぱり似合うじゃん」「うん、可愛い!」
「えへへへへ!ありがとうえりかちゃん舞美ちゃん!!」

サンダルからブーツに履き替えた千聖が、あらためて二人に礼を言った。

「……でも舞美、賞金って何のこと?これ舞美のお金で買ったんじゃないの!?」

事情を知らずに、買い物のお金だけを渡されていたえりかが舞美に訊いた。

「ううん、すぐにわかるからいいの」

「――お待たせしました」空いた席に、えりかとマイの二人を案内するため、
店員さんが出てきて言った。

「じゃあ、ウチらもとんこつ食べていくから、駅前のいつものお店で待っててね」
「うん、タピオカジュースでも飲んでるから」

えりかとマイが店内へ入っていった。と同時に、店の中から「あはははは!」と
マイが大きく笑う声が聴こえてきた。 来たな、と舞美は思った。
……後でまたバカにされるな。きっとマイが一番しつこいぞ。

舞美は「ふぅ」と溜息をついた。
いいや、あんまりしつこかったら、こっちが仕返ししてやる。家へ帰ったら、みんなで掴まえて
また『くすぐり地獄』の刑だ。「ごめんなさい」って言うまで絶対に許さないんだから!

その光景を想像し、ちょっと可笑しくなった舞美の顔から笑みが漏れた。
その時、店内へもどろうとする店員さんと目があってしまった。舞美に釣られるように
笑顔を見せた店員さんは、そのままちょこんと頭を下げると店の中へ入っていった。

(……相変わらず、優しそうな笑顔だな)

店内に消えたえりかとマイを見送った栞菜と千聖が、店に背を向けて歩き出そうとしていた。

「どうしたの?舞美ちゃんも行こうよ」
「愛理となっきぃが待ってるよ」
「……うん」

それでも舞美は、店員さんが消えた店の入り口から目を離せないでいた。


……ホントは、ちょっとだけ「いいな」って思ってたんだ。

カッコいいからとかじゃない。一目惚れなんかじゃない。
デカ盛り挑戦中、苦しそうなあたしのことを本気で心配してくれた。
そして、成功したときに、まるで自分のことのように喜んでくれてた。
その、とっても人がよさそうな、優しそうな笑顔が印象的で……。

でも、16歳の女の子が、こんな恥ずかしい思いをして平気な訳ないじゃないの。
顔中を汗だくにして、デカ盛りラーメンをみんなの前で完食してしまう女の子なんてさ。
だから、ふっ切るために、今日は自分から進んで『恥』をかいた。
もう、二度とこのお店には来ない。

――バイバイ。

舞美はくるりと振り返ると、そのまま勢いよく歩き出した。
わざと靴の踵を鳴らして歩いてみた。カツカツと響く音が耳に心地良かった。
そして、意外と簡単にふっ切れている自分に驚いた。

そういえば先週、なつみさんが言っていたな。
『16歳の恋なんて、私に言わせれば、ただのオママゴト』なんて……。
悔しい。いつか絶対、誰にも文句を言わせない大恋愛をしてやるんだから。
舞美は明るい瞳で前を見据えた。
でも、しばらく恋愛はいいや。だって、今のあたしは……。

「いいなあ、千聖ばっかり買ってもらってさ」
「栞菜はいっつも自分から『欲しい欲しい』ばっかり言ってるから買ってもらえないんだよ」
「なにさ!」
「なんだよお!」

前を歩く栞菜と千聖がまた言い合いをしている。まったく、世話の焼ける子たちだ。

「こらー、喧嘩するなー!」

後ろから二人の間に強引に割って入ると、その肩に両腕をまわしてぎゅっと抱き寄せてみた。

「……きゃっ、なに舞美ちゃん!?」
「……ちょっと、いたいよ舞美ちゃんっ!」
「へっへっへー、さっき笑った罰だ」

今のあたしは、この子たちの親代わりだもの。しばらくはしっかりと見守っててあげなきゃ。
だから、そのかわり……。

「それ、このまま駅前まで走ろお!!」
「やだよお、苦しいってえ」千聖が言った。
「もう、やっぱり今日は変だよ舞美ちゃん」栞菜がまたあきれた。
でも構うものか。

恋愛なんて忘れるくらい、目一杯あたしを楽しませろ。
かわりにみんなのことを、好きでいさせろ。
いつか大きくなって、巣立っていくその日まで……。


ぎこちなく走る三人が、狭い路地から駅前に繋がる広い通りに飛び出た。
その凸凹なシルエットが、ネオンの光の洪水と雑踏に紛れて消えていった。
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