プレイス
●思い出

 −−舞美ちゃんの場合−−

 机の引出しに、なぜか偶然に見つけてしまった。小さな白い髪留め。

 「もう、1年になるのか…」



 −−えりかちゃんの場合−−

 キッチンの窓から見る、小さな風景と季節の移り変わり。いつのまにか聞こえなく
なっていたセミの声。

 「秋か…、早いな」



 −−早貴の場合−−

 家に帰って、机に向かって、ノートを広げて、シャーペンを口にくわえて…。
今日、先生に言われたことを思い出す。

 「<そろそろ進路のことを考えて、勉強していったほうがいいかもな>」

 「進路かあ…」

−−栞菜の場合−−

 帰り道、友達と立ち寄るブティック。ショーウィンドウの向こうには、秋の新作が
並んでいる。

 「いや、遅いね。もう冬のこと考えなくちゃだね」
 「まだ早いっしょそれ〜!」
 「ほら、この白いマフラーとか、かわいい」

 マネキンに着せられたマフラーを指さして、もう一度繰り返して言ってみる。

 「ほら、この白いマフラー、かわいい…」



 −−愛理の場合−−

 秋のコンクールに向けて、放課後はクラブのみんなと練習。最初の音を確かめるよ
うに、フルートをそっと口に当てる。

 「とりあえずは、去年のおさらいから、メヌエットで…」

 「この曲…」

−−千聖の場合−−

 「いただきっ!」

 千聖が走りこむと、絶好の位置にパスがまわってきた。ノートラップで放ったシュ
ートは、がら空きのゴールに吸い込まれて、ネットを揺らした。

 「ナイッシュー!千聖!!」
 「ナーイス!アシスト!!」

 クラスメイトの男子たちとハイタッチをして自陣に戻る。汗が気持ちよくひいてい
く感じ。

 「(あっ!)」

 前にも一度、こんな場面があった。そして校庭の端っこにある大きな桜の木の下を
振り向いてみる。

 「…いるはずないよね」

−−舞ちゃんの場合−−

 学校帰りの寄り道。今日は保田のおばあちゃんち。縁側に座っているおばあちゃん
の、膝の上には猫がいて、おばあちゃんはその猫の頭をずっとなでている。

 「おばあちゃん、途中で『ねこじゃらし』取ってきたよ。サンケは遊ぶかなあ?」
 「さあて、サンケはおばあちゃんと同じくらい年寄りだからねえ。遊ぶかなあ?」

 おばあちゃんは、上からサンケの顔をのぞき込んでみた。「サンケ」の名前は三毛
猫の「三毛」からもじったものらしい。目の前にねこじゃらしを差し出されても、サ
ンケはちょっといぶかしげに首を振ってみせるだけ。だけど舞ちゃんがしつこく鼻の
前でそれを揺らすものだから、前足でちょっと払いのけたつもりが、そのホコリを吸
ってしまい、派手なくしゃみをひとつ…。

 <クシュッ!>
 「わ!」

 驚いてねこじゃらしを引っ込めると、サンケはそれっきり目をつぶってしまった。

 「だめかー。遊んでくれないね」
 「そうだねえ、遊んでくれないねえ。サンケは年寄りだから…」

 そう言ってまた、おばちゃんはサンケの頭をなでていた。サンケは目をつぶったま
まで、ゴロゴロとノドを鳴らしている。お庭の先、垣根の向こうには、秋晴れの空。

 「そういえば、去年の今ごろは、メグミちゃんもいたんだっけねえ?」
 「メグ?…」

 舞ちゃんはおばあちゃんの目をちょっとだけ見ると、振り返って、おばあちゃんと
同じ方向を、透き通った青い空を見上げた。

●夕焼け

 −−その日の夕方−−

 丘の上の公園。

 公園の入口近くにある白いベンチ。ここに座ると、ちょうど噴水の向こう側に、夕
日が落ちていくのが見える。その噴水の横を通り抜けて、公園の端っこまで来れば、
低い柵があって、そこから夕日に染まる街並を見下ろすことができる。

 まだ夕焼けの景色を見るには早いけど、舞美ちゃんは柵に手をかけて、じっと街並
を見下ろしながら、ときおり吹くやわらかい風に髪をなびかせていた。

 「舞美も来てたんだ」
 「あ、えり…」

 舞美ちゃんの背中を、えりかちゃんがポンとたたいた。

 「やっぱり、思い出しちゃうよね」
 「そりゃあ、忘れられないっしょ」

 えりかちゃんは舞美ちゃんと並んで、舞美ちゃんと同じようにして、オレンジ色の
街並を見下ろした。

 「みんなも、来るかな?」
 「どうかなあ…。『お姉ちゃん二人して帰ってこない!』とか言ってそう」
 「フフッ!、そうかなあ」

「そんなわけないじゃん!」

 背後から声がしたので振り返ると、早貴と栞菜が立っている。

 「あーあ、せっかくそっと近づいて驚かそうと思ってたのにぃ。なっきぃ気が利か
  ないなあ」
 「ごめ〜ん。っていうか栞菜、そういう場面じゃないでしょここは」
 「まあね〜ぇ」

 「なっきぃ、栞菜も来たんだ」
 「当然でしょ。忘れないよ、今日の日付は」
 「きっと千聖たちも、じきに来るでしょう」
 「ほら、来た来た(笑)」

 4人がそんなことを話しているうちに、公園の向こうの入口からものすごい勢いで
走ってくる2台の自転車が見えた。「チビッココンビ」の暴走族だ。

 「やっほーっ!!」
 <キキーッ!、ザザザーッ!>
 「ちさとーっ!」
 「うわーっ!」
 <<ガシャン!!>>

 私たちの見ている場所の手前で、華麗にスピンターンをキメて止まった千聖の自転
車に、止まりきれなかった舞ちゃんの自転車が追突した。どちらもブレーキをかけて
いたから、それほど激しくぶつかったわけではないのだけど、2台の自転車はもつれ
るようにバランスを崩して倒れたのであった。

 「おイテテテ…」
 「千聖ぉ!急に止まるなー!」
 「舞ちゃんこそちゃんと止まってよぉ!」

 「ハイハイけんかしない。あいかわらず騒がしいやっちゃなあ」

 舞美ちゃんと栞菜が駆け寄って、二人の自転車を起こしてあげた。救出された二人
は、ひざについた砂ぼこりを払いながら歩いてきた。

 「みんな来てンじゃん。さすがだね」
 「夕焼け間に合わないかと思ってさ、あせってこいで来た」

 「あれ?、愛理は?」
 「まだ来てない。学校からも帰ってきてなかったよね?」
 「部活かなぁ?、コンクールが近いって言ってたし」
 「愛理は、忘れちゃってるのかなあ」
 「そんなはずないと思うけど…」

 「おーーい!」
 「あ、来た!」

 声の聞こえたほうを見ると、公園の入口から、愛理が制服姿のままで手を振りなが
ら走ってきた。

 「愛理!」
 「よかったみんないたーっ!」
 「愛理、学校から直接来たの?」
 「ハア、ハア…。あー疲れた。バスが渋滞で動かなかったんだもーん。みんなもう
  そろってたんだね」

「ほら!、キレイな夕焼け!」

 みんなは振り返って、並んで柵に手をかけた。オレンジ色だった街並が、すっかり
ピンク色になっている。

 「ホントここの景色って、キレイだよね。何回も見てるけどさ」
 「向こうは、これから朝。こっちは、これから夜」
 「マイナス14時間だから、3時?、まだ寝てるね」

 「メグ、元気にしてるかなあ」
 「大丈夫だよ。メグは強い子だし」
 「連絡がないってことは、元気ってことでしょ」

 「メグ、早く帰ってこないかなあ」
 「大丈夫!、帰ってくるっていったじゃん!、約束したじゃん!」
 「そう!、メグはちゃんと帰ってくるって」

 みんなで夕日を見送りながら、メグのことをいろいろと話した。舞美ちゃんは、ず
っとえりかちゃんと手をつないでたんだけど、いつの間にか、わぁわぁと声をあげて
泣き始めた。

 「舞美ちゃん、どうしたの?」

 みんなが心配そうに舞美ちゃんのほうを見上げる。

 「ごべんね゛、な゛んかね゛、な゛み゛だがどま゛らな゛いの゛〜」

 舞美ちゃんはまっすぐに夕日を見つめたまま、涙も拭かずに声を出して泣いている。

 「きっとね、舞美は夕日がまぶしいんだよ」

 えりかちゃんはそういって笑ったけど、自分でも涙をぬぐってた。結局その涙はみ
んなに伝染しちゃって、みんなして夕日を見ながら、わぁわぁと泣いてしまった。そ
して夕日がもうすぐ隠れてしまいそうになったころ…。

 「よしっ!、泣いたっ!、OK!、今度は、叫ぼう!」

 舞美ちゃんは立ち直りも早い。みんなの頭をなでたり、肩を抱いたりして、笑顔を
作った。

 「みんなでメグに元気な声を聞かせようよ。ね!」
 「うん」
 「聞かせよう!」
 「届くくらいに」
 「大きい声で!」

 「騒音公害じゃない?」
 「気にしない気にしない」
 「大丈夫だよ、ちょっとくらい」
 「そうだね」

 「よし、いくよ?!」


 みんなで手をつないで、もう、ほんのちょっとしか顔を出していない夕日に向かっ
て叫んだ。

 「メグーっ!、げんきかぁーっ?!」
 「「「「「「「メグーっ!、げんきかぁーっ?!」」」」」」」

 「みんなもー、げんきだよーーっ!!」
 「「「「「「「みんなもー、げんきだよーーっ!!」」」」」」」

 遠くの空を鳥がまっすぐに横切っていく。夕日はすっかり落ちて、家やビルの形が
影絵のように黒く浮かんでいた。

 「さっ!、かえろっ!」
 「うん!、帰ろう!」
 「泣いて、叫んで、おなかへったね」
 「あはは、そうだ。おなかへったね!」

 するとえりかちゃんが思い出したように叫んだ。

 「やばっ!、ご飯のスイッチ入れ忘れー!」

 「「「「「「ええぇーーっ?!」」」」」」

 「千聖!、先に帰ってスイッチ入れといて!」
 「アイアイサー!」
 「私も行く!!」

 千聖に続いて、舞ちゃんも自転車をこぎだした。「チビッココンビ」の暴走族は、
みんなのおなかを守るため、家に向かって一目散に爆走していった。

●お別れ

 −−2006年10月−−

 メグはローラーのついたスーツケースをゴロゴロと引っぱりながら、坂道をのぼっ
ていく。そのあとに続いて、舞ちゃん、千聖、愛理、栞菜、早貴、えりかちゃん、舞
美ちゃんが順番に、1列になってのぼっていく。ときおり空を見上げて、鼻歌を歌い
ながら歩いてるメグとは対照的に、他のみんなは言葉もなく、鼻歌もなく、ただメグ
の背中を見ながら歩いている。やがて一行は、丘の上の公園に到着した。

 「ここで見る夕日、私好きなんだ」

 入口近くにある白いベンチに、メグひとりが座って、そのまわりをみんなが囲んだ。
メグはスーツケースから白いマフラーを取り出して、首に巻いた。

 「どーお?、似合う?」
 「似合う似合う」
 「メグって、ホント白が似合うよね」
 「かわいい」
 「かわいい」

 それは昨日の晩に栞菜がメグにプレゼントしたものだった。マフラーは、まだ季節
には全然早すぎるけど、夕方の光の加減と、「おでかけ」の衣装に身を包んでいるせ
いもあって、今のメグにはとっても似合っていた。

 それからメグは、上着のポケットから小さな袋をとりだし、その中身を、舞ちゃん
から順番に渡していく。

 「これはね、私から、みんなに」
 「なにこれ?」
 「髪留め?」
 「そう!、みんなでおそろいのね」
 「かわいい」
 「かわいい」

 みんなは、メグから小さな白い髪留めをひとつずつ受け取ると、それぞれ、自分の
髪につけていった。

 「はははっ。全員がおそろいのアクセサリーって、ひさびさだね」
 「そうだね〜」
 「かわいいじゃん」
 「これかわい〜い」
 「さっすがメグのセンスはいいよね」

 みんなでお互いの髪留めを見せ合っていた。

 「あ、ほら、今日の夕日は、とっても赤いね」
 「ほんとだ」

 ベンチに座ったまま、メグが公園の向こうを指さす。みんなはいっせいにその方向
を見て、赤い夕日と、公園の噴水と、その景色を眺めていた。

 しばらくそうして、言葉もないまま時間が過ぎたけど、やがてみんなの背後で、車
の止まる音がした。メグはそれを待っていたかのように、すっと立ち上がった。

 「ねえ、ここでお別れにしよう!」
 「ここで?!」
 「えっ!、なんで?!」
 「迎えに来てもらったの。ここからまっすぐ空港に送ってもらえるように」

 みんなが公園の外のほうを振り返ると、黒いタクシーのような車の運転席から、見
知らぬ若い男性が手を振っている。

 「ねえ、あの人だれ?」
 「メグのこと呼んでるの?」
 「メグ、本当の本当に行っちゃうの?」
 「なんでこんな急に行くの?」
 「なんで今日なの?」
 「なんでアメリカなの?」

 栞菜、千聖、舞ちゃんが口々にメグに質問を浴びせる。分かってはいても、来てほ
しくなかった「お別れ」の現実に、最後の抵抗を試みて…。

 だから私も一緒になって「なんで?、なんで?」を繰り返したかったけど、そんな
3人とメグを見ているだけで、立ち尽くしたまま、動くことができなかった。当のメ
グは、3人の妹たちに答える言葉が見つからないまま、それぞれの顔を見つめている
だけだった。


 「あの人はね、メグのボディーガードの人!」
 「はあっ?!」

 舞美ちゃんが栞菜たちの後ろから割り込むようにして、その輪に入った。

 「メグがちゃんとアメリカまで行けるように、見届けてくれる人だよ。大丈夫」
 「ホントに?!」

 舞美ちゃんは3人をメグのそばから離れさせ、3人の肩を抱きかかえながら、
メグをまっすぐに見つめた。

 「メグ、元気でね」
 「…うん」

 「すぐに帰ってきてね」
 「…分からないけど、でもきっと帰ってくるから」

 「必ず帰ってきてね」
 「…帰ってくるよ。必ずね」

 メグの瞳から、涙が流れた。

 「みんなも、元気でね」
 「…」

 じっと見つめ合う、ひとりと7人。きっと、ほんのわずかな時間だったんだけど、
とても長く、大切な時間のように思えた。本当はこのまま、時間が止まってくれた
ら…とさえ思っていた。きっとみんな。

 メグはくるっとみんなに背中を向けて、スーツケースの取っ手をつかみ、顔を上げ
た。まっすぐに前を見つめて、あとは公園の入口に向かって、あの車に向かって歩き
出すだけ、歩き出すだけ…。

 なんだけど、その一歩が、踏み出せないままでいた。

 「行けっ!!、決めたんだろっ!!」

 舞美ちゃんが怒鳴るような声で叫んだ。メグはビクッと肩をすくめて、それから
ゆっくりと舞美ちゃんの方を振り向いた。その顔は涙でグシャグシャに濡れていて、
なんとかして笑おうとしているんだけど、笑えなくて…。

 怒鳴った舞美ちゃんのほうだって、その目にいっぱいの涙をためて、それでもメグ
をまっすぐに見つめていた。そしてメグは舞美ちゃんの胸に飛び込み、舞美ちゃんは
メグを抱きしめ、みんなは走りよって舞美ちゃんとメグを囲んだ。

 「ごめんね舞美!!」      「頑張ってね。元気でね」
 「ごめんねえりかちゃん!!.」 「メグ〜、さびしいよ〜」
 「ごめんねなっきぃ!!」    「絶対帰ってきてね。絶対ね」
 「ごめんね栞菜!!」      「メグ大好き!」
 「ごめんね愛理!!」      「行かないでよぉ。愛ちゃん」
 「ごめんね千聖!!」      「メグーー!」
 「ごめんね舞ちゃん!!」    「メグのばかぁ!」

 「ごめんね!、みんなごめんね!」

 メグはひとりひとりと抱きしめあって、泣いて、謝った。今は自分の勝手で別れる
ことを、ただ謝るしかなかった。

「さあ、笑わなくっちゃ!」
 「「「「「「メグ!」」」」」」

 「じゃあね!、みんな!!」

 最後にメグは、とびっきりの、ありったけの笑顔で、みんなに別れを告げた。
涙を拭き、もう一度スーツケースの取っ手をつかみ、歩き出す。それからはもう、
振り向くことなく公園をあとにして、車に乗って、いってしまった。

●風景

 「本当に…、いいの?」

 運転している男の人が、目を真っ赤にしているメグを心配して声をかける。メグは
ずっと窓の外を見つめたままでいる。

 「はい。大丈夫です」

 窓の外に流れる、今までずっと当たり前に見過ごしていた街の風景を、メグはじっと
記憶に焼き付けるように、見続けていた。

 公園に続く道、家の前、通学路、友達の家、バス停、学校、ハンバーガーショップ、
ゲームセンター、デパート、駅…。そのどれもが、今の瞬間から思い出に変わるんだ
と思うと、やっぱり涙が出てきてしまう。そして家族ひとりひとりの顔が、暗くなった
窓の向こうに浮かんでくる。

 やがて車は高速道路に乗り、一路空港へと向かっていった。

 その晩の飛行機で、メグはアメリカへと飛び立った。

●宣言

 −−その前日のこと−−

 10月になって、2学期も中盤にさしかかり、中学生以上は中間テストが始まろう
としている頃、ウチでは、いつもと変わらないスケジュールで、いつもと変わらない
夕食を囲み、いつもと変わらないだんらんをしていた…はずだった。

 テーブルには、お茶とみかんとお菓子が並び、私は舞ちゃんの宿題を教えていた。
そのお菓子を横からつまみながら、舞美ちゃんと千聖はボーっとしてテレビを見てい
る。ソファに寝転びながら、えりかちゃんと栞菜はファッション雑誌のチェック。そ
の栞菜の背中にくっついて、愛理が二人の会話を聞いている…。

 そのとき、テーブルにひじをついたまま、メグがなんとなくいった言葉は、今思う
と、ホントにメグらしい一言だったな…って思う。

 「私、明日アメリカに行くわ…」

 「「「「「はあ〜〜〜?!」」」」」

 唐突にそんなことを言い出すもんだから、みんなは冗談だとばっかり思ってた。

 「なになに、旅行?」          「いんや」
 「あ、修学旅行か?!」        「だから違うって」
 「じゃあ、観光?.」            「あのね。旅行と観光は同じだから」
 「じゃあなに?、バイト?」       「なんでさ?、引越しですよ引越し」

 「「「「「引越し〜っ?!」」」」」

「アメリカってどこよ?」         「アメリカはアメリカじゃん」
 「いや、アメリカのどこ?」        「シカゴ」
 「シカゴ?!、鹿児島じゃなくて?」  「全然違うから〜」
 「似てない〜」               「えりかちゃんすべった〜」

 「何でいきなりシカゴ?」        「ナイショ」
 「ナイショ?!、なんでよ?」      「ナイショはナイショ」
 「だってパスポートは?」        「ある」

 「「「「「ええ〜っ!?あるの〜?!」」」」」

 この時点で、みんなはメグが冗談を言っているのではなく、かなり本気だというこ
とに気づき始めていた。なにしろメグは言い出したら聞かない子だったし、行動力も
人一倍ある、そしてしっかりした子だったから。でも、やっぱり唐突なのは唐突なの
に変わりはなくて、みんなとメグとのやりとりは続く。

 「ちょ、ちょっと!
  学校はどうすんのよ?!」      「やめる」
 「やめるって、いきなりぃ?!」     「手続きは済んでるよ?」
 「はあ?、なにそれぇ?」        「なにそれって、問題なしでしょ?」
 「メグが手続きしたのぉ?!」     「いや、舞美と…」

 「「「「「えっ?!」」」」」

 今度はいっせいにみんなの視線が舞美ちゃんに向いた。舞美ちゃんはお菓子をポリ
ポリとつまみながら、「えっ?、あたし?!」みたいな素振りをしてみせた。おいお
い、天然にもほどがあるぞ。っていうか、会話に加わってなかったんかい。

「舞美ちゃん知ってたの?」       「あ、まあ…ね」
 「なんで?」                 「なんでって…、
                          めぐが『行きたい』っていうから」
 「『行きたい』って…、
  それじゃ説明になんないでしょ?」  「だって…、ねえ」

 舞美ちゃんはちょっと困ったようにメグの顔を見た。メグはチロッと舌を出してか
ら、おどけたように言った。

 「夢があるの!」

 「「「「「夢?」」」」」

 「歌手になりたいんだ!。本場の、ジャズのね。知り合いがシカゴにいるんだ。そ
  の人のところへ、弟子入り!」
 「弟子入りって…、それにしても、なんでいきなりシカゴなのよ。別に日本だって
  いいじゃない。それにジャズなんて、メグ今まで、そんなの興味なんかなかった
  じゃん。聞いてなかったじゃん!」

 「いきなりだからいいんじゃない。ジャズもいきなり好きになったの!!」
 「そんなのヘンじゃん!」

 「いいの!、決めたんだからいいの!!」

 この言葉が出ると、メグはもう頑として聞かない。みんなそれを知っているから、
それ以上メグにぶつける言葉が出なかった。

 「でも、どうして今まで内緒にしてたの?、いきなり明日なんて…」

 愛理の問いかけに、メグだけじゃなく、舞美ちゃんもドキッと反応をしたのを、私
は見逃さなかった。

 「いや…、ホラ、みんなをビックリさせようと思って…」
 「ビックリさせすぎだよ!」
 「だってアメリカでしょう?!」
 「メグ、ほんとに行っちゃうの?」

 「あ、チケットがね。急に取れちゃったから…」
 「急にったって、いくらなんでも急すぎない?」
 「仕方ないじゃん、とれちゃったんだから」
 「ねえ、本当に明日いくの?、来年の明日じゃなくって?」
 「明日だよ。来年じゃなくて明日だよ」

 「「「「なぁんでえ〜?!」」」」

 「ねえ、パパは知ってるの?」

 また愛理が鋭い質問をした。でももう愛理は目に涙をいっぱいにためて、ただメグ
のほうを見ているだけで、視線を動かせないままでいる。メグは舞美ちゃんと目を合
わせて、何かを確かめたようにしてから、みんなの方に向き直った。

「いや…、ホラ、みんなをビックリさせようと思って…」
 「ビックリさせすぎだよ!」
 「だってアメリカでしょう?!」
 「メグ、ほんとに行っちゃうの?」

 「あ、チケットがね。急に取れちゃったから…」
 「急にったって、いくらなんでも急すぎない?」
 「仕方ないじゃん、とれちゃったんだから」
 「ねえ、本当に明日いくの?、来年の明日じゃなくって?」
 「明日だよ。来年じゃなくて明日だよ」

 「「「「なぁんでえ〜?!」」」」

 「ねえ、パパは知ってるの?」

 また愛理が鋭い質問をした。でももう愛理は目に涙をいっぱいにためて、ただメグ
のほうを見ているだけで、視線を動かせないままでいる。メグは舞美ちゃんと目を合
わせて、何かを確かめたようにしてから、みんなの方に向き直った。

 「知ってる…」

 「そう…、それで、なんて?」  「いいよって…」
 「それだけ?」         「それだけ…」
 「ホントにそれだけ?」

「もうっ!、いいでしょっ!!
  パパにはちゃんと話してあるし!、パパはいいって言ってくれたの!
  これは私のワガママなんだから!、みんなには関係ないでしょっ!」

 「メグッ!」

 すぐさま舞美ちゃんがメグを叱った。

 「みんなは…、心配してくれてるんだよ…」

 「ごめん…」

 重苦しい空気が流れた。それっきり、誰も、何も言えなくなってしまった。舞美ち
ゃんは少しうつむいたまま、誰に視線をあわせるでもなく、話し始めた。

 「メグはね。ジャズの歌手になるのが夢だって…、それはホントよ。そのために、
  シカゴへ行って、ある人に会いに行かなければならないの。それもホント。その
  人は、メグにとって大切な人なの。みんなは知らない人だから、説明できないん
  だけど、メグはその人を必要としているし、その人もメグを必要としているの…」

 「急に行くことになってしまったのは、仕方がなかったんだけど…、それはメグが
  望んだことだから…。私は、メグのこれからを応援してあげたいと思う。急なお
  別れになって、さびしくなるけれど、もう二度と会えないわけじゃないし、必ず
  帰ってくるって、約束したから…。みんなも、メグを快く行かせてあげて…」

 「(その人って、パパと関係のある人?)」とっさに私は疑問に思ったけど、口に
出すことはできなかった。そしてまた、沈黙の時間が流れた。

 やがて栞菜がすっと立ち上がり、自分の部屋へ行ったかと思うと、すぐに戻ってき
た。その手には、栞菜がよく行くブティックの、新しい手提げ袋を持って…

 「メグ、これ…」

 差し出された袋を受け取り、中に入っているものを取り出すと、それは栞菜が冬の
ファッションを先取りして買ってあった、白いマフラーだった。

 「えっ?、これ、栞菜こないだ買ったばかりのヤツじゃん?、まだ使ってもいない
  んでしょう?」
 「いいの。メグに使ってほしいの。だって明日行っちゃうんじゃ、もう渡せない
  じゃん?。マフラーは、もうひとつ同じものを買うから、そうすれば、メグと
  おそろいになるから…」

 メグはマフラーを持ったまま、栞菜を見つめて、急にさびしくなったような表情を
した。

 「ありがとう」

●回想

 −−2006年9月−−

 夏休みが終わり、2学期が始まった。まだまだ校庭に降り注ぐ太陽の日差しは強く、
生徒たちは暑い外で遊ぶよりも、クーラーの効いた涼しい教室で遊ぶ子のほうが多数
派であった。しかし、千聖についていえば、彼女は断然「少数派」であった。

「逆サイドあいてるよーっ!、こっちこっちーっ!!」

 千聖の必死のアピールもむなしく、ボールは敵陣の中央付近で混戦の中にもまれて
いた。それでも、クラスメイトのひとりと目が合うと、千聖はゴールに向かって走り
こんだ。

 「いただきっ!」

 キーパーの逆を突く、絶好の位置にパスが飛んできて、千聖はノートラップで
シュートを打った。ボールはがら空きのゴールに吸い込まれて、ネットを揺らした。

 「ナイッシュー!千聖!!」
 「ナーイス!アシスト!!」

 クラスメイトの男子たちとハイタッチをして自陣に戻る。汗が気持ちよくひいてい
く感じ。

 「あれっ?!」

 偶然、フィールドの外に目を向けたら、そこにはメグが立っていた。校庭の端っこ
にある大きな桜の木の下。

 「ちょっと抜けるね、わだっち!、フォローよろしく!」
 「はいよー!」

 腕で汗をぬぐいながら、千聖はメグの立っている場所へと駆け寄った。

「メグ、どうしたの?」
 「千聖、かっこいいじゃん!」
 「えへへ〜ぇ。サッカーは得意だし…」

 「今日はね、ちょっと青木先生に用があって来たんだ」
 「青木先生?、教頭先生?」
 「そうそう!、いつのまにか教頭先生になってたんだね。ビックリした」
 「青木先生って、メグの担任だったの?」
 「そうだよ。私が5、6年のときにね。なつかしくなって、お話してみたかったん
  だ。そうしたら帰りに校庭で千聖がサッカーやってたから、ちょっと見学してた
  の」

 「そぉか〜。まだいる?」
 「ん?、一緒に帰ろっか?」
 「うん!」

 「じゃあ、勝って来いっ!」
 「いや、もう勝ってるから!」
 「分っかんないよぉ?、油断は禁物だかんね」
 「大丈夫大丈夫。じゃあこのまま勝ったらアイスおごって(笑)」
 「そういうと思った。負けたら千聖のおごりだからね」
 「うっ、それはきつい…」

 「勝てばいいんでしょっ!」
 「そうだ、勝ってくる!!」

 千聖は勢いよく校庭の真ん中に飛び出していった。

 −−同じ日−−

 舞ちゃんは、学校帰りによく寄り道をする。まっすぐ家に帰っても、まだだれも帰
ってきていないから、それまでの時間つぶしを兼ねて、いつもご近所のパトロールを
しているのだ。毎日その経路も、寄り道する先も決まってはいないのだけど、お天気
のいい日には、たいてい保田さんちのおばあちゃんのところに行っている。

 「こ〜んに〜ちは〜」
 「おや?、舞ちゃんかい?、珍しいことが起きたね」

 おばあちゃんは、お天気がよければいつも、縁側で日向ぼっこをしている。そして
飼い猫のサンケ(三毛猫)をひざの上にのせて、その頭をゆっくりとなでている。

 「どうしたの?、おばあちゃん」
 「ついさっきまでね、メグミちゃんがいたんだよ」
 「メグが?、どうして?」
 「メグミちゃんもねえ、小学校の頃は、よくここに遊びに来てくれたんだよ。今日
  は『久しぶりに、おばあちゃんに会いに来た』って、ホラ、お菓子を買ってきて
  くれたんだよ。舞ちゃんも、食べるかい?」
 「うん!、おばあちゃん、メグとも友達なんだね」
 「そうだねぇ。メグミちゃんとも、友達なんだねぇ」

 そういっておばあちゃんは、お茶を入れるために部屋の中に入っていった。サンケ
は「ニャァン」と一声鳴いて、あとについていった。舞ちゃんは縁側に腰掛け、ラン
ドセルを置いて、そこから見える空を見上げた。

 「へー、メグもおばあちゃんの友達なんだあ…。あれ?、メグ、学校どうしたんだ
  ろ?、こんなに早く終わったのかな〜?」

 青い空には、小さな雲がいくつか、ゆっくりと流れていた。

●手紙

 −−2006年8月−−

 夏休みも終わりに近づいていたある日のこと。

 「お、なんだこれ?、英語?、読みづらいなあ。『Me・gu・mi Ya・ji・ma』?
  あー、メグあての手紙かな?」

 ポストに投函されていたエアメールを最初に見つけたのは、学校のプールから帰っ
てきた千聖だった。それとは入れ替わりに…

 「いってきまーす!」

 ちょうど玄関では、メグが出かけようとしているところだった。今日はえりかちゃ
んも買い物に出かけていて、夕食当番は私(早貴)。ついでに頼みごとをしようと、
家の中からメグを呼び止めた。

 「メグー?、買い物〜?」
 「うん!、そんな感じ〜」
 「帰りは〜?」
 「晩御飯までには帰ってくるよ〜」
 「じゃあさー、帰りにローリエ買ってきて〜」
 「はーい!」
 「よろしくね〜」

 メグが支度を整えてドアを開けると、そこには手紙を持った千聖が立っていた。

「あ、千聖、おかえり!」
 「メグう!、これ…」
 「何…?、あっ!」

 メグは千聖から手紙を受け取り、差出人を確かめると、ほんの少し表情を暗くさせ
た。そして手紙をバッグに入れ、クツのかかとをトンと鳴らした。

 「ありがとう。行ってくるね」
 「いってらっしゃい」

 千聖は、なぜメグの顔色が変わったのか不思議に思ったんだけど、あんまり気にし
ないまま、家に入った。

●事件

 −−その翌日−−

 メグが、朝帰りをした。

 これは我が家のここ最近の歴史の中では、かなり大きな事件だった。というのも、
前日の夕方に、メグが見知らぬ男の人と二人で道玄坂をのぼっていく姿を、買い物を
していたえりかちゃんが偶然に目撃してしまったからだ。

 その目撃情報自体は、舞美ちゃんとえりかちゃんの二人の間だけで内緒にされてい
たけど、連絡もなしに一晩帰ってこなかったという事実は、姉妹みんなを心配させる
ことになってしまった。

 当然メグに買ってきてくれるように頼んでおいたローリエも届かなかったわけで、
今晩のメインディッシュになる予定のビーフシチューは、一味足りないものになって
しまった。ま、これはあとで買ってきても間に合うんだけどね…。

 「ただいま…」

 力なく玄関のドアが開き、メグが帰ってきた。髪はボサボサで、目は真っ赤に腫れ
たまま、疲れた様子でクツを脱いでいた。

 「メグ!」
 「メグおかえり!どうしたの?」
 「心配したよ?」
 「あ、ゴメンね。心配させちゃったね」

 真っ先に出迎えたのは千聖と舞ちゃんだった。

 「メグ…」
 「あ、舞美。ごめん、連絡しなくって」
 「どうしたの?、なにかあったの?」
 「まあ、ちょっとね」

 千聖と舞ちゃんの後ろには、腰に手を当てて仁王立ちになっている舞美ちゃんがい
た。今まで舞美ちゃんが怒った姿なんて、一度も見たことなかったけど、このときの
舞美ちゃんは、その様子だけでも、なんだかものすごく怖かった。メグもそんな舞美
ちゃんの気持ちがすぐに分かったから、あんまり言葉が出せないままでいた。

 「(ふう…)」

 舞美ちゃんは、ひとつ大きなため息をついて、肩を落とした。

 「心配したぞ。どうする?、お風呂沸かしてあるよ?。それとも朝ご飯?」
 「あ、お風呂、入る…」

 舞美ちゃんはメグの頭をクシャクシャにして、その肩を抱いた。

●心配

 お風呂に入って、遅い朝ごはんを食べたら、今度は眠くなってしまって、メグは部
屋に入って寝てしまった。それっきり、お昼ご飯の時間になっても起きてこなかった。

 他のみんなはというと、午後の時間、リビングでクーラーをガンガンに効かせて勉
強大会。私とメグを除いて、みんな夏休みの宿題は最後にガーッと片付けるタイプだ
から、この時期はいつもこうなってしまう。

 テーブルにノートを広げ、シャーペンをくわえて天井を見つめている舞美ちゃんに、
えりかちゃんは心配そうに耳打ちした。

 「(メグ、大丈夫かな…)」
 「(わかんないけど、大丈夫そうじゃない?…、ウチに帰ってきて安心したみたい
  だし…)」
 「(なにもなければいいけど…)」
 「(もうそろそろしたら、分かるでしょ…)」
 「(そっか…)」

 <ドスン!…>

 「(ほらね)」

 メグの部屋のほうから、鈍い音がした。舞美ちゃんはえりかちゃんにウィンクして
立ち上がった。みんなの視線が舞美ちゃんに集まったけど、舞美ちゃんは人差し指を
唇に当ててから、みんなに「待っててね」のサインを送り、メグの部屋に向かった。

「いった〜い…」

 腰をさすりながら起き上がる。頭の周りに、星やひよこが飛び回っている気分。メ
グはぐっすり寝てしまうと、決まってベッドから落ちてしまうのだ。それくらい寝相
が悪いので、外泊なんてよほどのことがない限りは避けている。小学校で1泊の修学
旅行があったときにも、結局、まともに寝ることができなくて、目の下にくっきりと
クマを作って帰ってきた。

 夏の太陽の光がカーテンに遮られ、わずかな明るさだけが届く部屋の中。小さくノ
ックする音がしてドアが開くと、舞美ちゃんが入ってきた。

 「おはよ」            「あ、舞美。おはよ」
 「どう?、元気?」       「うん、大丈夫」
 「話を、聞かせてくれる?」 「そうね、ごめん」

 メグが頭をかきながらベッドに座ると、舞美ちゃんもそのとなりに座った。

 「みんなが心配してたのはもちろんだけど、えりかは別のことでも心配してるから
  さあ…」
 「えりかちゃんが?」
 「いい?、単刀直入に聞くよ?」
 「うん」

 「ゆうべ、メグが道玄坂をのぼっていくところを、偶然見ちゃったんだって…、
  男の人と…」

 メグは思わず舞美ちゃんと顔を見合わせ、それから視線をそらした。

 「そっか、見られちゃってたか…」

 そしてメグはゆっくりと立ち上がり、クローゼットのドアを開けて、奥のほうから
キルトのトートバッグを取り出した。

 「その人はね、探偵なの」            「探偵?」
 「そう、夏休みのあいだじゅう、
  ずっと『あること』を調べてもらってたの」  「あることって…」

 「舞美は…、覚えてる?」            「何を?」
 「私が、初めて…、この家に来た日のこと」

 「えっ?!」

●過去

 唐突に何を聞かれたのかと思って、舞美ちゃんは驚いてメグの顔を見た。メグがな
んのことを言っているのか、一瞬分からなかったから。

 それは、メグも舞美ちゃんもまだ本当に小さな頃…、舞美ちゃん自身は、思い出す
必要のないことと考えてた、心の奥底にしまっていたはずの出来事。それが今、メグ
のひとことで呼び出されたように、すうっと浮かび上がってきた。

 さっきまで寝ぼけていたはずなのに、今、メグは真剣なまなざしで舞美ちゃんを見
つめている。でも、舞美ちゃんには、メグに答えるための言葉がなかなか見つからな
くて、また少しの時間が流れた。

そして舞美ちゃんは、メグから視線をそらして、ポツリと答えた。

 「覚えて…いるよ」
 「そう?。私もね、覚えてるんだ。わりとはっきりとね」
 「だって…、まだ3才くらいの頃でしょ?」
 「そうだね、私はまだ2才だったかな?。あのとき舞美、ひまわりのティディベア
  を私にくれたんだよ?、覚えてる?」

 「えっ!?、あ、そうだっけ…」
 「ウ・ソ!。私が無理やりとっちゃったの。でも、次の日にママに怒られて、私が
  『返す』っていったら、舞美が『くれる』って言ったから、それで正式にもらっ
  たんだよ、コレ」
 「あ…」

 そういってメグは、バッグから小さなぬいぐるみをとりだした。それはひまわりの
花を持っているティディベアで、その体全体も、フェルトでできたひまわりの花も、
すっかりセピア色にあせてしまっていた。そして、舞美ちゃんの脳裏には、そのとき
の記憶がさらに鮮明によみがえってきた。

 「(−−この子は、どこから来たんだろうと思った。『新しい家族』ってなに?
  って思った。知らない女の人に連れられてきたその子は、色白で、おかっぱで、
  目がおっきくて、とってもかわいい女の子だった…。それで、その子の目を
  じっと見ていたら、急に熊のお人形をとりあげられて、びっくりした。でも『こ
  の子、さびしいのかな』って思ったから、なにも言わなかった。私のお部屋には、
  人形がたくさんあるけど、この子はなんにも持っていなかったから−−)」

メグは、くたびれたティディベアを両手で持ち上げながら話し始めた。

 「私にとっては、やっぱり強烈な出来事だったんだろうね。やさしいパパとママに
  連れられて、知らない家に来て、そこには、知らないもうひとりのママと、姉と
  妹がいたんだもん」

 舞美ちゃんには、返す言葉がなかった。今の今まで、そんなこと、思い出そうとも
考えていなかった。パパやママのことは、自分たちとは関係のないことだと思ってい
たし、どんな事情があろうと、自分たち姉妹は本当の家族だと信じていたから。重苦
しい空気の中、舞美ちゃんは絞り出すような声で聞いた。

 「ねえ…、私…、今の今まで、メグのことを『他の家の子』だなんて、思ったこと
  ないよ?…、なのに…、なんで?!」

 メグは首を振りながら舞美ちゃんの腕をつかんだ。

 「私だってそう!、舞美のこと、えりかのこと、なっきぃのこと、栞菜のこと、
  千聖のこと、舞ちゃんのこと…。みんなのこと、ずっと本当の姉妹だと思ってた!
  そこらの家族よか、ずっと仲のいい家族だと思ってた!。だけど…」

 「…」

 「だけど…」

 メグは何も言葉が出せなくなって、かわりに涙があふれ出てきた。そして、舞美ち
ゃんの胸に顔をうずめた。

「ママが…、病気なの」
 「ママ?」
 「私の、本当のママ。シカゴに住んでるって。パパと別れてから、ずっとシカゴで
  歌手をやっていたんだって」

 「あ…、昨日の手紙?」

 舞美ちゃんはゆうべ、メグあてのエアメールが届いていたことを、千聖から聞いて
いた。

 「そう、本当のママからの手紙。もう、どんな顔の人だったかもはっきりと思い出
  せないのに、それでもなつかしいの。その人が、『愛は愛の道を見つけなさい』
  って、書いてよこしたの。自分は病気なのに、アメリカで、ひとりぼっちで病院
  のベッドにいるのに…。私には、それが耐えられない…」

 「私、ひとりで悩んでたの。パパが教えてくれなかったから…。それで夏休みのは
  じめに、探偵事務所にお願いして、調べてもらったの。ママが本当のママなのか、
  そうでなければ、本当のママはどこにいるのかって…」

 「全部分かったわ。私の本当の母親は『明日香』っていう名前だって。パパがまだ
  日本にいた頃に、新人の歌手としてパパが育てた人だって。その『明日香』って
  人と、もうひとり『裕子』っていう恋人がいて、ママと結婚するずっと前から、
  つきあっていたの。そしてママと結婚してからも、パパは他の二人と別れなくって、
  それぞれの間に子供が生まれた…、それが私たち8人…」

 「…」

 「メグ…、愛理には…」
 「愛理には言わないで!、ぜったいに言っちゃダメ!!、あの子はなんにも知らな
  いんだから、なんにも知らないままでいさせてあげて!!、こんなこと知ったっ
  て、きっと愛理は悲しむだけ!」

 そこまで言ってメグは、驚いて舞美ちゃんの顔を見上げた。舞美ちゃんは、じっと
メグの目を見つめたままだった。

 「舞美…、もしかして…、知ってたの?!」

 舞美ちゃんは黙ったまま、ゆっくりとうなずいた。

 「なんで?!、なんで舞美は知っているの?!、こんな重要なこと、なんで教えて
  くれなかったの?!」

 今度はメグの方が舞美ちゃんに食って掛かった。舞美ちゃんは表情を暗くしたまま、
ポツリといった。

 「知ってたって、苦しいだけでしょ?」

 メグはハッとして、また舞美ちゃんを見つめた。その頬にも、涙が流れていた。

 「それに、必要なかったから…」
 「必要?」

「それは重要なことかもしれないけど、必要なことじゃなかったから…。そんな
  ことを知ってても、何の意味もないし、逆に苦しいだけだったから」

 メグには反論することができなかった。

 「分かるでしょ?、メグ。私たちは今、『家族』なの。過去にどんなことがあった
  としても、今ある事実は変わらない。ううん、変えちゃいけない。パパとママは、
  わたしたちの幸せを一番に考えて、こうして8人一緒に暮らせるようにしてくれ
  たの。それを無駄にしてしまう、壊してしまうような過去なら、必要ないよね」

 「もう知ってしまったからしょうがないけど、パパは確かに3人の人を愛していた
  わ。でも、そんなの関係ないじゃない?。パパだって完璧な人間じゃない。それ
  は誰しも同じ。パパの若い頃の『愛情』は、今の私たちには理解できないかもし
  れないし。もしかして、理解できるようになったとしても、それでも今の私たち
  には関係ないじゃない。だから、本当かどうかは別にして、やっぱり『必要ない
  こと』だと思うの。だから、誰にも話さなかった。これからも、誰にも教えるつ
  もりもなかった」

 メグは舞美ちゃんの目から視線を外せないままでいた。

 「舞美は…、だれから聞いたの?」
 「ママからよ」
 「ママが?…」

 「ママが亡くなる3日前だったわ。ママ自身、誰かに伝えておかずにはいられなか
  ったんだろうね。その気持ちが分かるまでは、私、ママのこと、少し恨んだりも
  したもの…」

 「ママは他の二人の女性のことも知っていてね…。友達みたいなつきあいだったそ
  うよ。それはね、ママはパパを信じていたから。パパがママを、そして私たち子
  供を、本当に愛してくれていることを信じていたから」

 「裕子さんと、明日香さんの子供を引き取ることにしたのは、ママが最初に提案し
  たことだったそうよ。二人とも病弱で、パパとは一緒に暮らせない事情があった
  から。幼い私たちに気付かれないように、最初から私たちが本当の姉妹として暮
  らせるようにしてくれたのは、ママだったの」

 「パパは仕事優先。ママは家族優先…。だったけど、二人はお互いのことを本当に
  愛していた。もちろん私たちのことも…。結局ママも病気で亡くなっちゃったけ
  ど、今でもこうして私たちが一緒に暮らせるのは、パパとママのおかげでしょう?」

 それからしばらく、また無言の時間が流れた。舞美ちゃんはメグの頭を、しずかに、
ゆっくりと、何度も何度もなでていた。

 ひととおり泣きはらしてから、メグは話し始めた。

 「私、パパのことを信じてなかった。でも、パパは間違っていなかったのね。3人
  のママのことも、パパはずっと愛してくれていたんだね。私たちのことも、信じ
  てくれていた…。裏切ったのは、私のほうだった」

 「メグ…、自分を責めないで…」

 「調べなきゃ良かった。こんなこと、知らずにいれば良かった…」

 メグは舞美ちゃんの胸で、声を出して泣いた。

●弁解

 −−リビング−−

 舞美ちゃんがメグの部屋へ行ってから、もう1時間たとうとしている。それでも不
思議とみんな宿題に集中できたみたいで、今日の予定はだいたい終わることができた
らしい。

 「おやつにしよっか?」
 「そだね。私もノド乾いてきちゃった」
 「みんな麦茶でいい?」
 「あ、あたし昨日グアヴァジュース買ってきたよ?」
 「あ、それ飲みた〜い!」
 「あたしもー!」
 「グアヴァー!」
 「千聖、知ってんの?」
 「知らない」

 いつもの騒がしいリビングに戻ったと思ったら、舞美ちゃんとメグが帰ってきた。

 「ちょっとみんな聞いて!、メグったらさあ〜」
 「メグどうしたの?」
 「メグおはよー」
 「おはよー」

 「渋谷で『捜査に協力してください』とか言われてぇ。ナンパだと思ったらホンモ
  ノの刑事さんだったんだってよぉ?!」
 「うっそ?!、ナニ?、事件?」
 「そう。なんかね、売春組織の摘発とかってぇ。いきなり声かけられたんだもん。
  びっくりしたあ」

「それで?、どんなことしたの?」
 「それは教えらんないんだなあ。教えちゃいけないことになってるからさあ」
 「うそー!、ちょっとくらい、いーじゃーん!」

 舞美ちゃんが間髪いれずにまくし立てる。

 「でもさあ、それならそれで、連絡よこさないってのは、ナイよねえ?」
 「そうだよ。みんな心配したんだよ?」
 「ホントにゴメン!。最初は断ろうと思ったんだけどね。なんか好奇心わいちゃっ
  てさ。そしたら家に連絡することすっかり忘れちゃって…、だってすんごいドラ
  マみたいだったんだもーん!」
 「えーっ!、どんな?、どんな?、教えてー!」

 なかなか苦しいウソではあったけど、綿密に打ち合わせたのであろう舞美ちゃんと
の連携プレイと、メグの迫真の演技力でもって、とりあえず下の子たちに対しては、
メグの疑いは晴れたようだった。

●宿題

 −−またその翌日−−

 メグはまた買い物があるとかで、朝から出かけてしまった。それでも昼過ぎには家
に帰ってきて、みんなより一足遅れてごはんを食べた。みんなはというと、昨日に引
き続いての勉強大会。

 ひとり宿題の進み具合の遅れている舞美ちゃんは、やっぱりテーブルにノートを広
げ、シャーペンをくわえて天井を見つめている。

メグが食器を片付けながら声をかけた。

 「舞美ぃ!、このあとちょっと付き合ってもらえるかなー?」
 「んー?、いいよー」

 あいかわらず天井を見つめたまま、うわの空のように舞美ちゃんが答えた。ひとご
とだけど、こんな調子でちゃんと宿題が片付くのか、心配になってしまう。一応みん
なのなかで一番の年上なんだから、だれも舞美ちゃんの宿題は手伝えないってことを、
この人は理解しているんだろうか…。

 「みんな早く片付けチャイナー!、お菓子買ってきたよ〜ん♪」

 すでに宿題を全部終わらせているメグは、余裕の表情で「悪魔のささやき」をみん
なにふれまわっている。きっとえりかちゃんや栞菜には、メグのお尻に先のとがった
シッポが見えているに違いない。

 「愛理は〜?、音楽〜?」
 「秋のコンクールに向けてね。みんなでどの曲をやろうかって…、ひとり1曲づつ
  選んで相談することになってんだ。でもさ〜、分かんないよ。全部聞いたわけじゃ
  ないしさあ…」
 「これ、いいんじゃない?『バッハのメヌエット』」
 「これ?」
 「そんなに難しくないしさ。みんな知ってる曲だし…。それに私、このメロディ、
  好きなんだ」
 「ふーん…」

 夏休みがもうすぐ終わる。こうしてみんなと一緒にいる時間を、そしてこの場所を、
メグだけが、特別の思いで過ごしているなんて、そのときに知っていたのは、舞美
ちゃんとメグ本人だけだった。

●プレイス

 私たちには、それぞれの居場所がある。誰かに決められた居場所もあれば、自分で
探して決めた居場所もある。いつも自分の居場所を気にしている人もいれば、全然気
にしていない人もいる。ときには意識すらしないことだって…。

 そこにいることが、とても幸せだったり、逆にただの苦痛だったりすることもある。
たいていそれは、居心地の良し悪しで決まるもので、だからたいていの人は、居心地
のいいところを探しているのかもしれない。もしかしたら、生きている間はずっと、
探し続けているのかもしれない。

 なんの不思議も感じない居場所、とても不思議に感じる居場所。自分を包む空間が、
自分の周りにいる人々が、その場所の居心地を決める。でも居心地を決めるのは、あ
くまでも自分自身。


    プレイス(居場所)=見えるものと、見えないものと、
                  自分自身とが、影響しあう場所

おしまい
C-ute 7 Sisters Log Page Project
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