ホワイトボード
ゴクゴクゴク…。

土曜日の夜、バスタオルを肩から下げたお風呂上がりの愛理は、
キッチンで冷蔵庫から小さなペットボトルのジュースを取り出して飲んでいた。
大きく喉が鳴るのが恥ずかしかったが、すごく喉が渇いていたので気にしない事にした。
お風呂でいっぱい歌った時はいつもこうだ。

そう、五女の愛理は歌が好き。
思えば昔から音楽が好きだった。一番古い記憶は幼稚園の頃、お婆ちゃんのお葬式で
お坊さんの叩く木魚のリズムにノッて自然と頭を振ってて後でエラク怒られた。

それから、みんなでアイドルステージごっこをよくやった。
姉妹が七人もいるのでいつもマイクの取り合いになったが、特に愛理がマイクを握ると
放さなかった。大人しい愛理だったが、この時だけは誰にも負けなかった。

やがて成長し、アイドルごっこをやるのは愛理と妹の千聖とマイだけになった。
それでも愛理は歌うのが楽しかった。

今ではお風呂がそんな愛理のショーの舞台になり、
歌っているうち自然と長いお風呂になりみんなに怒られてしまう。
でも歌う事は止められない。愛理は歌が好きだから。

そんな愛理なのに今日は何だかスッキリしない。
今日もいっぱい歌ったし、せっかくのお風呂上りなのに。

「ふー…」

軽く溜め息をつき、残ったペットボトルを冷蔵庫にしまうと、
扉の表にマグネット式で貼り付けられているホワイトボードが目に入った。

いつもは姉妹間の伝言や、千聖やマイの悪戯描きで埋められているホワイトボードに
今日は『卵は〇日まで』という冷蔵庫の中の卵の賞味期限が書かれていた。

「もう日付け過ぎてんじゃん」

几帳面な愛理は、冷蔵庫にまだ残っていた卵を捨て、
水性マーカーで書かれていた用済みメッセージをキレイに消していった。


…書いては消されるホワイトボードの伝言。

真っ白になったホワイトボードを見るうち、愛理はかつて
ここにいつもメッセージを書いてたある人の優しい文字を思い出していた。

様々な用事や言い伝えに交じって、たまに姉妹を思いやる
優しい言葉が書かれていた。
ある時、愛理ら姉妹がアイドルステージを披露した日の夜には

『今日は素敵なステージをありがとう。
 お礼に、冷蔵庫にケーキが入っています』

と書かれていて、それを見つけた姉妹みんなで大喜びしたのを思い出した。

もう二度と書き込まれる事がない言葉の数々。
そう考えると、消さずに全部とっておけばよかったな、と愛理は思った。
でもそんな訳にはいかないよな。これただのホワイトボードだもんね。
何で今日に限ってこんな事を思い出すんだろう、
きっとお風呂で最後に歌った【歌】がいけなかったんだな。

『 最後の笑顔だと 知っていたら
  もっと頭ん中 焼きつけたのに…

  あなた だけの LOVE SONG
    もう一度 会いたい …  』

…なんて。
あんまり歌の世界に入り込むのも考えものだな。
好きな歌だけど当分歌うのは止めよう。

「あー、愛理、上がったの?」

ジュースでも取りに来たのだろうか、千聖がキッチンにやってきていた。

「うん、まだ暑いんだよぉ」

そう答えると愛理は、肩に掛けていたバスタオルで汗を拭くふりをして
気付かれないようにそっと涙をぬぐった。


「…おはよー」

翌朝、
中々寝つけなかった愛理はめずらしく遅く起きてキッチンにやってきた。

「誰もいないの〜?」

まだみんな寝てるのかな?みんな相変わらずお寝坊だな。
そんな事を考えながら牛乳でも飲もうと冷蔵庫の取っ手に手をかけ、
扉のホワイトボードに新しくメッセージが書かれているのに気付いた。

『愛理、千聖、マイへ、
 ちょっとお買い物に行ってきます。
 よく寝てたので置いていくねゴメンね。夕方までには帰るから、
 お昼ごはんチンして食べておいてね。
 
 えりか、舞美、早貴、かんな 』

何だ!?
みんな朝は弱いはずなのに、こんな時間からもうお買い物!?夕方まで!?
…っていう事は、きっとバーゲンだ!置いていかれた!

「チェッ、起こしてくれればいいじゃないかー!!」

愛理はいっぺんに目が覚めた。

「ふぁあ、ぉはよう愛理」
「あれ、愛理どうしたの!?」

眠そうな目をこすり、千聖とマイが起きてきた。

「ちょっと、千聖マイこれ見…」

そう言いかけた愛理の口が止まった。
今日はこの三人だけ!?

「……ねえ、今日久しぶりにアレやろうよ!」
「アレって?」
「アレだよ」
「アレって、アレぇ?」
「エヘへへへ…」

愛理の意図を理解し、千聖とマイが悪戯っぽく笑った。


「よいしょ、よいしょ」

まず三人で、物置からクリスマスや誕生日の時に使う飾り付けが入った箱を
引っ張りだしてきて、手分けして今日の舞台となるリビングに飾った。

次にみんなで色紙を細かく切り刻んで色とりどりの紙吹雪を作ると、
また物置からまだ季節には早い 扇風機を引っ張り出してくる。

「でもこれだけじゃ物足りないなあ、……そうだ!」

何かを思いついた愛理が千聖とマイにこっそり耳打ちした。

「ええ!?バレたら怒られちゃうよ愛理ィ!」
「いいじゃん、今日はちょっと派手にやろうよ」
「そうだね、人を置いていく方が悪いんだよ」
「フッフッフッフッ……」

残された悪戯っ子たちの瞳が輝いた。

そして、
千聖がおしゃれな姉えりかの部屋から、原色や豹柄の派手目な洋服を大量に運んできて、
マイが写真好きな舞美の部屋から、大事にしているコンパクトデジカメを持ち出してくる。

「それーーーっ!!」

千聖が持ってきた服をダイニングからそのまま繋がった広いリビング一面にぶちまける。
すると、とたんに部屋がカラフルになり雰囲気がガラリと変わった。

そして愛理が大きなダイニングテーブルにお気に入りのカラフルなクロスを敷くと、
そこは豪華なステージになった。

「それじゃー、頼んだよDJマイマイ!」
「チェキラ!」

リビングのカラオケ機能付きのミニコンポにマイクを繋ぐと、
みんなのお気に入りのCDをありったけ集め、密閉型ヘッドフォンを首にかけ
パパのサングラスでDJ気分のマイが、何やらポーズをとりコンポのスイッチを操作する。
(パパが集めていたサングラスは、今ではそのままマイのコレクションになった)

音楽が始まる。
とっておきの洋服を衣装として選んだ愛理がコンポから伸びたマイクを片手に
ステージに見立てたテーブルに上がる。頭の中はもう拍手と歓声がいっぱいだ。

「♪電話もまだ来ない、
 メールもまだ来ない YEAH
 走り出せない恋のブギートレェーーン!」
「イエ〜〜〜〜イ!!」

お気に入りのナンバーを選んだ愛理の澄んだ歌声が綺麗に伸びて響き、
千聖とマイが歓声を上げる。
そう、今日のこの部屋は小さい頃みんなでよくやったアイドルステージだ。

愛理が曲に乗って軽快にステップを踏むが、四方がガッシリした脚で支えられた
ダイニングテーブルは、大きくなったとはいえ愛理一人が乗ったくらいではビクともしない。
千聖が掴んで投げた紙吹雪が上を向けた扇風機の風を受けてステージを舞い、
マイが片手にカメラ、片手で拳を振り上げ盛んに飛び跳ねフラッシュを光らせて盛り上げる。
カメラはフラッシュ機能が目的なのだ。画像は後で消去すればいい。
三人が考えた演出は、小さい頃のステージよりずっとグレードアップされていた。

「♪ほったらかしだよ
 泣いちゃう CRY…」

昨夜はちょっと切なくなった。今朝はちょっとムカついた。
でも、

「♪…みっともないって
 みんな言うけれど
 だって 仕方ないもん
 だって 好きなんだもん」

そんな愛理を癒すのはやっぱり大好きな歌だ。

大人しい子に思われがち、
本当は明るい性格なんだけど、大勢の中では
どこにいるかわからなくなってしまうほど控え目。

「♪…連絡来るまで
 じっと待つ身のブギートレイン
 じっと待つ身のブギートレイン」

そんな愛理でも、歌っている時は別、
そう、その歌と笑顔で誰よりもキラキラ輝き目立つ女の子になる。

「♪…明日は CHU CHU メルヘン街道、
 走りたいわ AH デートがしたいの
 BOOGIE WOOGIE CHU CHU
 まだ泣かないぞう 通過の多い駅 ブギートレイン!」

そして今日はアッパーなナンバーばかりで思い切り楽しもう!
みんなでいっしょに最高のコンサートにしよう!!
テーブルの上で愛理が大きく弾けた。


アイドル好きの姉妹のCDコレクションには、ハロープロジェクトのCDが多かった。

「♪ロマンティック
 恋の花咲く 浮かれモード
 史上最大の 恋が始まりそぉ〜」

千聖が得意のモノマネを活かして藤本美貴のナンバーを披露し、

「♪Yeah! めっちゃホリディ
 ウキウキな夏希望、
 Yeah! ズバッと サマータイム
 ノリノリで恋したい!」

マイが幼さの残る声で松浦亜弥キュートに歌い上げる。
愛理も負けじと得意の、そして大好きなナンバー歌い続け、
今日は三人で交代に、そして時にはいっしょに、
みんな声が枯れるまで数時間の熱唱が続いた。

「最後は、ロックだーーー!!」

愛理がそう叫ぶと三人で声を揃えてシャウトする。

『Cutie Girls Rock 'n' Roll Yeah! Cutie Girls Rock 'n' Roll Yeah!…』

流れているのはパパのCDラックにあり、偶然聴いていっぺんで気に入った
英語のロックナンバーだ。
サビの『Cutie Girls 』が自分達を表してるようで気持ちいい。
もうマイクもステージも関係無い。ただいっしょに絶叫して部屋中走り廻るだけだ。

『キューティーガールズ、ロケンロー … 』
『イエ〜〜〜〜〜〜イ!!』
 ジャ―――ン!!

決まった!最高に気持ちいい瞬間だ!!
と、その時ふと壁時計が目に入った。

「…ヤバい、もうこんな時間だ!」
「みんな帰ってきちゃうよ」
「片付けないと怒られちゃう」

『…撤収〜〜〜!!』

愛理たちは一斉に叫んで片付けに入った。
洋服をキレイにたたみ、掃除機をかけ、カメラをこっそり戻しておく。

「いい?絶対バレないように片付けるんだからね」
「わぁ、もうこんな時間じゃん、急がなきゃ!」
「ギャ〜〜〜、千聖花瓶を倒すな〜〜〜!」

何か忘れているような気がするなあ…。
でももう細かい事を考えてる時間なんて無い!

追いつめられたドタバタの中、でも愛理はとてもスッキリしていた。


数日後、

「ただいまー、あー喉渇いたー」

日曜のステージの事などすっかり忘れ学校から帰った愛理は、
ジュースでも飲もうと冷蔵庫に向かい、ホワイトボードの真ん中にマグネットで
ある一枚の写真が留められているのに気付いた。

「あ〜〜〜〜〜〜っ!!」

それは日曜日にリビングのライブで熱唱する愛理の写真だった。
慌てていて使ったデジカメの画像消去し忘れてたんだ!!
写真には、散らかった部屋と、端にはえりかの洋服もしっかり写っていた。
やばい!デジカメ勝手に使ったのばバレてる!
えりかちゃんのお洋服勝手に持ち出したのもバレてる!きっと後で怒られる…。

「あ〜〜〜、どうしよどうしよどうしよ〜〜〜!!」

だが愛理は、ホワイトボードに貼られたの写真の上に、
姉、舞美のメッセージが書き込まれていたのに気づいた。

『愛理いい笑顔じゃん
 今度のライブは私達にも観せなさい
 約束だよ!』

それまで動転していて気付かなかったメッセージを読み、
ようやく落ち着いた愛理がよく写真を見直すと、
そこにはこれまで見た事が無い自信にあふれた笑顔の自分が写っていた。

「…あは〜〜、あたしこーんな顔して歌ってたんだ〜〜…」

ちょっと恥ずかしくなった。でも、その顔は嫌いじゃなかった。
(いつもこんな笑顔でいられるなら、私やっぱり歌手になりたいな)
あらためて芽生えた決意を、愛理は姉への感謝と供に
決して消えない心のホワイトボードに書き込んでみた。


ホワイトボード、
書いては消される無数のメッセージ。
でも構わない。

私を想ってくれてる人はまだいっぱいいる。
私が好きな人もまだいっぱいいる。
これからもいっぱいいっぱいいろんな事を書き込んでやろう。

そう考えると愛理は姉達への想いをこめて、
ホワイトボードの下にマーカーで一番好きな言葉を書き添えた。

 キュッキュッ…

 『 ありがとう 』


(天国のママにも届くといいな)
愛理はとびきりの笑顔になった。
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